葬祭

大学2年の夏休みに、知り合いの田舎へついて行った。ぜひ一緒に来い、というのでそうしたのだが、電車とバスを乗り継いで8時間もかかったのにはうんざりした。

知り合いというのは大学で出会ったオカルト好きの先輩で、俺は師匠と呼んで畏敬したり小馬鹿にしたりしていた。

彼がニヤニヤしながら「来い」というのでは行かないわけにはいかない。結局怖いものが見たいのだった。

県境の山の中にある小さな村で、標高が高く夏だというのに肌寒さすら感じる。

垣根に囲まれた平屋の家につくと、おばさんが出てきて

「親戚だ」

と紹介された。

師匠はニコニコしていたが、その家の人たちからは妙にギクシャクしたものを感じて居心地が悪かった。

あてがわれた一室に荷物を降ろすと俺は師匠にそのあたりのことをさりげなく聞いてみた。すると彼は遠い親戚だから・・・というようなことを言っていたがさらに問い詰めると白状した。ほんとに遠かった。尻の座りが悪くなるほど。

遠い親戚でも、小さな子供が夏休みにやって来ると言えば田舎の人は喜ぶのではないだろうか。しかし、かつての子供はすでに大学生である。ほとんど連絡も途絶えていた親戚の大人が友達をつれてやって来て、泊めてくれというのでは向こうも気味が悪いだろう。もちろん遠い血縁など、ここに居座るためのきっかけに過ぎない。ようするに怖いものが見たいだけなのだった。

非常に、非常に、肩身の狭い思いをしながら俺はその家での生活を送っていた。家にいてもすることがないので、たいてい近くの沢に行ったり山道を散策したりしてとにかく時間をつぶした。師匠はというと、持って来ていた荷物の中の大学ノートとにらめっこしていたかと思うと、ふらっと出て行って近所の家をいきなり訪ねてはその家のお年寄りたちと何事か話し込んでいたりした。俺は師匠のやり口を承知していたから、何も言わずただ待っていた。

二人いるその家の子供と、まだ一言も会話をしてないことを自嘲気味に考えていた6日目の夜。ようやく師匠が口を開いた。

「わかったわかった。ほんとうるさいなあ、もう教えるって」

6畳間の部屋の襖を閉めて、布団の上に胡坐をかくと声をひそめた。

「墓地埋葬法を知っているか」

という。ようするに土葬や鳥葬、風葬など土着の葬祭から、政府が管理する火葬へとシフトさせるための法律だ、と師匠はいった。

「人の死を、習俗からとりあげたんだ」

この数日山をうろうろして墓がわりと新しいものばかりなのに気がついたか?と問われた。気がつかなかった。確かに墓地は見はしたが・・・

「このあたりの集落はかつて一風変わった葬祭が行われていたらしい」

もちろん知っていてやって来たのだろう。その上で何かを確認しに来たのだ。ドキドキした。聞いたら後戻りできなくなる気がして。

家は寝静まっている。豆電球のかすかな明かりの中で師匠がいった。

「死人が出ると荼毘に付して、その灰を畑に撒いたらしい。酸化した土を中和させる知恵だね、ところが変なのはそのこと自体じゃない。江戸中期までは死者を埋葬する習慣自体が一般的じゃなかった。死体は『捨てる』ものだったんだよ」

寒さが増したようだ。夏なのに。

「この集落で死体を灰にして畑あっさりに撒けたのには、さらに理由がある。死体をその人の本体、魂の座だと認めていなかったんだ。本体はちゃんと弔っている。死体から抜き出して」

抜き出す、という単語の意味が一瞬分からなかった。

「この集落では葬儀組みのような制度はなく、葬祭を取り仕切るのは代々伝わる呪術師、シャーマンの家だったらしい。キと呼ばれていたみたいだ。死人が出ると彼らは死体を預かり、やがて『本体』を抜かれた死体が返され、親族はそれを燃やして自分たちの畑に撒く。

抜かれた『本体』は木箱に入れられて、キが管理する石の下にまとめて埋められた。いわばこれが墓石で、祖霊に対する弔意や穢れ払いはこの石に向けられたわけ。

彼らはこの『本体』のことをオンミと呼んでいたみたい。年寄りがこの言葉を口にしたがらないから聞き出すのが大変だった」

師匠がこんな山の上へ来た理由がわかった。その木箱の中身を見たいのだ。そういう人だった。

「この習慣は山を少し下った隣の集落にはなかった。近くに浄土宗の寺があり、その檀徒だったからだ。寺が出来る前はとなったらわからないけど、どうやらこの集落単独でひっそりと続いてきた習慣みたいだ。その習慣も墓地埋葬法に先駆けて明治期に終わっている。だからこの集落の墓はすべて明治以降のものだし、ほとんどは大正昭和に入ってからのものじゃないかな」

その日はそのまま寝た。その夜、生きたまま木棺に入れられる夢を見た。

次の日の朝その家の家族と飯を食っていると、そろそろ帰らないかというようなことを暗にいわれた。帰らないんですよ、箱の中を見るまでは。と心の中で思いながら味のしない飯をかき込んだ。

その日はなんだか薄気味が悪くて山には行かなかった。近くの川でひとり日がな一日ぼうっとしていた。

『僕はその木箱の中に何が入っているのか、そのことよりもこの集落の昔の人々が人間の本体をいったい何だと考えていたのか、それが知りたい』

俺は知りたくない。でも想像はつく。あとはどこの臓器かという違いだけだ。俺は腹の辺りを押さえたまま川原の石に腰掛けて水をはねた。

村に侵入した異物を子供たちが遠くから見ていた。あの子たちはそんな習慣があったことも知らないだろう。

その夜、丑三つ時に師匠が声を顰め、「行くぞ」といった。

後編へ
⇔戻る