葬祭
川を越えて暗闇の中を進んだ。向かった先は寺だった。
「例の浄土宗の寺だよ。どう攻勢をかけたのか知らないが、明治期にくだんの怪しげな土着信仰を廃して、壇徒に加えることに成功したんだ。だから今はあのあたりはみんな仏式」
息をひそめて山門をくぐった。帰りたかった。
「そのあと、葬祭をとりしきっていたキの一族は血筋も絶えて今は残っていない。ということになってるけど、恐らく迫害があっただろうね。というわけでくだんの木箱だけど、どうも処分されてはいないようだ。宗旨の違う埋葬物だけどあっさりと廃棄するほどには浄土宗は心が狭くなかった。ただそのままにもしておけないので当時の住職が引き取り、寺の地下の蔵にとりあえず置いていたようだが、どうするか決まらないまま代が変わりいつのまにやら文字どおり死蔵されてしまって今に至る、というわけ」
よくも調べたものだと思った。
地所に明かりがともっていないことを確認しながら、小さなペンライトでそろそろと進んだ。小さな本堂の黒々とした影を横目で見ながら、俺は心臓がバクバクしていた。どう考えてもまともな方法で木箱を見に来た感じじゃない。
「僕の専攻は仏教美術だから、そのあたりから攻めてここの住職と仲良くなって鍵を借りたんだ」
そんなワケない。寝静まってから泥棒のようにやって来る理由がない。
そこだ。と師匠がいった。本堂のそばに厠のような屋根があり、下に鉄の錠前がついた扉があった。
「伏蔵だよ」
どうも木箱の中身については当時から庶民は知らなかったらしい。知ることは禁忌だったようだ。
そこが奇妙だ。と師匠はいう。その人をその人たらしめるインテグラルな部分があるとして、それが何なのか知りもせずに手を合わせてまた畏れるというのは。やはり変な気がする。それが何なのか知っているとしたら、それを「抜いた」というシャーマンと、あるいは木箱を石の下から掘り出して伏蔵に収めた当時の住職もか・・・
師匠がごそごそと扉をいじり、音を立てないように開けた。饐えた匂いがする地下への階段を二人で静かに降りていった。降りていくときに階段がいつまでも尽きない感覚に襲われた。実際は地下一階分なのだろうが、もっと長く果てしなく降りたような気がした。
もともとは本山から頂戴したなけなしの経典を納めていたようだが、今はその主人を変えている、と師匠は言った。異教の穢れを納めているんだよ。というささやくような声に一瞬気が遠くなった。
高山に近い土地柄に加え、真夜中の地下室である。まるで冬の寒さだった。俺は薄着の肩を抱きながら、師匠のあとにビクビクしながら続いた。
ペンライトでは暗すぎてよく分からないが、思ったより奥行きがある。壁の両脇に棚が何段にもあり、主に書物や仏具が並べられていた。「それ」は一番奥にあった。
ひひひ
という声がどこからともなく聞こえた。まさか、と思ったがやはり師匠の口から出たのだろうか。
厚手の布と青いシートで2重になっている小山が奥の壁際にある。やっぱりやめよう、と師匠の袖をつかんだつもりだったが、なぜか手は空を切った。手は肩に乗ったまま動いていなかった。
師匠はゆっくりと近づき、布とシートをめくりあげた。木箱が出てきた。大きい。正直言って、小さな木箱から小さな肝臓の干物のようなものが出てくることを想像していた。しかしここにある箱は少なかった。三十はないだろう。その分一つ一つが抱えなければならないほど大きい。
嫌な予感がした。木箱の腐食が進んでいるようだった。石の下に埋められていたのだから、掘り出した時に箱のていを成していないものは処分してしまったのかも知れない。
師匠がその内の一つを手にとってライトをかざした。それを見た瞬間、明らかに今までと違う鳥肌が立った。ぞんざいな置かれ方をしていたのに、木箱は全面に墨書きの経文でびっしりと覆われていたからだ。
如是我聞一時佛在舍衞國祇樹給孤獨園與大比丘衆千二百五十人倶・・・
師匠がそれを読んでいる。やめてくれ。起きてしまう。そう思った。
ペンライトの微かな明かりの下で、師匠が嬉しそうな顔をして指に唾をつけ、箱の口の経文をこすり落とした。他に封印はない。
ゆっくりと蓋をあげた。俺は怖いというか心臓のあたりが冷たくなって、そっちを見られなかった。
「う」
というくぐもった音がして、思わず振り向くと師匠が箱を覗き込んだまま口をおさえていた。
俺は気がつくと出口へ駆け出していた。明かりがないので何度も転んだ。それでももう、そこに居たくなかった。階段を這い登りわずかな月明かりの下に出ると、山門のあたりまで戻りそこでうずくまっていた。
どれくらい経っただろうか。師匠が傍らに立っていて青白い顔で
「帰ろう」
と言った。
結局次の日俺たちは1週間お世話になった家を辞した。またいらしてねとは言われなかった。もう来ない。来るわけがない。
帰りの電車でも俺は聞かなかった。木箱の中身のことを。この土地にいる間は聞いてはいけない、そんな気がした。
夏休みも終わりかけたある日に俺は奇形の人を立て続けに見た。そのことを師匠に話した折りに、奇形からの連想だろうか、そういえばあの木箱は・・・と口走ってしまった。
ああ、あれね。あっさり師匠はいった。
「木箱で埋められてたはずだからまずないだろう、と思ってたものが出てきたのには、さすがにキタよ」
胡坐をかいて眉間に皺をよせている。俺は心の準備が出来てなかったが、かまわず師匠は続けた。
「屍蝋化した嬰児がくずれかけたもの、それが中身。かつて埋められていたところを見たけど、泥地でもないしさらに木箱に入っていたものが屍蝋化してるとは思わなかった。もっとも屍蝋化していたのは26体のうち3体だったけど」
嬰児?俺は混乱した。グロテスクな答えだった。そのものではなく、話の筋がだ。死人の体から抜き出したもののはずだったから。
「もちもん産死した妊婦限定の葬祭じゃない。あの土地の葬儀のすべてがそうなっていたはずなんだ。これについては僕もはっきりした答えが出せない。ただ間引きと姥捨てが同時に行われていたのではないか、という推測は出来る」
間引きも姥捨ても今の日本にはない。想像もつかないほど貧しい時代の遺物だ。
「死体から抜き出した、というのはウソでこっそり間引きたい赤ん坊を家族が差し出していたと・・・?」
じゃあやはり、当時の土地の庶民も知っていたはずだ。しかし言えないだろう。木箱の中身を知らない、という形式をとること自体がこの葬祭を行う意味そのものだからだ。
ところが、違う違うとばかりに師匠は首を振った。
「順序が違う。あの箱の中にはすべて生まれたばかりの赤ん坊が入っていた。年寄りが死んだときに、都合よく望まれない赤子が生まれて来るってのは変だと思わないか。逆なんだよ。望まれない赤子が生まれて来たから年寄りが死んだんだよ」
婉曲な表現をしていたが、ようするに積極的な姥捨てなのだった。嫌な感じだ。やはりグロテスクだった。
「この二つの葬儀を同時に行なわなければならない理由はよくわからない。ただ来し方の口を減らすからには行く末の口も減らさなくてはならない、そんな道理があそこにはあったような気がする」
どうして死体となった年寄りの体から、それが出てきたような形をとるのか、それはわからない。ただただ深い土着の習俗の闇を覗いている気がした。
「そうそう、その葬祭をつかさどっていたキの一族だけどね、まるで完全に血筋が絶えてしまったような言い方をしちゃったけど、そうじゃないんだ。最後の当主が死んだあと、その娘の一人が集落の一戸に嫁いでいる」
そういう師匠は、今までに何度もみせた、『人間の闇』に触れた時のような得体の知れない喜びを顔に浮かべた。
「それがあの僕らが逗留したあの家だよ。つまり・・・」
ぼくのなかにも
そう言うように師匠は自分の胸を指差した。
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