〜前編〜

俺、昔鬼を見たことあんだよね。

消防の頃、かあちゃんの田舎に行った時の話。田舎の子と家の裏山で遊んでたら、そいつの友達が2、3人やってきた。思わぬ大所帯になったので興奮した俺たちは、いつもは家の見える範囲でしか遊んじゃ駄目と言われているのにも関わらず、奥の方へ入って探検してみることにした。

山道は険しく10分も進むと草木が生い茂り、まだ昼過ぎだというのに薄暗く感じられた。だが俺は人数のせいで気が大きくなっていたから構わず先へ進んだ。他の奴らも同じようだった。

しかし、それからほどなくして俺たちは道に迷ってしまった。高い杉林の中で回りは皆同じような眺め。俺は少し不安を覚えたがそれでもまだまだ平気だった。だが、他のメンバーは家族から聞かされていた山の恐ろしさを思い出したらしく青くなっていた。

俺はだらしねえなあと思いながらとりあえず林を抜けるまで歩こうと提案した。どこか見晴らしのいい所に出れば降りる道もわかるだろう。まだその時はそんな気持ちだった。

しばらく歩くと林を抜け、だだっぴろい広場に出たが、そこから首を伸ばして見渡しても人家は見えない。

見渡す限り山山山…。

ことここに至ってようやく俺もヤバいかなと思い始めた。とは言えいずれは必ず帰れると信じていたから、あくまで今夜のテレビ観れないとかその程度の心配だったけど。

春先だったしそこまで寒くはなかったがとっぷりと暮れてくると闇が怖くなってきた。

俺たちはじっとしていられなくて当てどもなく歩き続けた。その内一番年下の子が泣き出した。俺たちは交互に慰めたりしたが、そのお陰でしっかりせねばと闘志が湧いて来た。そのまま足が動けなくなるまで俺らは山中をさ迷い続けた。

一時間ぐらいたち、もういい加減足がくたびれてへたり込みそうになった頃、なんとなく先頭を歩いていた平八が

「おいあれ」

とすっとんきょうな声を出した。山中に明かりが見えたのだ。俺たちは助かった…と口々に呟いた。そしてその明かりを目指して歩き出した。

「あれ誰の家?」

と聞いても誰も知らなかったけれども。近くに見えた明かりだが側に行くまで意外と時間がかかった。

俺たちは30分以上かけてそこまで行った。暗闇に家の輪郭が浮かび上がったとき、俺たちは思わず足を止めた。明かりが灯ってなかったら人が住んでいるようには見えなかっただろう。ほとんど廃墟だった。

藁葺きでぼろぼろに崩れかけたしっくいの壁。玄関の木戸は少し強い風が吹けば飛んでしまいそうだった。

俺たちはしばらく立ち尽くしていたがやがて意を決したように平八が木戸へと足を踏み出した。

平八は木戸に手をかけた。俺たちもすぐ後ろに続いた。

木戸は立てつけが悪いらしく、なかなか開かない。俺が手伝ってやっと開いた。

中は土間がありその向こうが板の間、天井からランプが下がり、中央に囲炉裏。鍋がかけられている。火が赤々と燃え盛っている。

誰もいない。俺たちは顔を見合わせた。どこに行っているのだろう。

「とりあえず入って待とうぜ」

俺の一声でゾロゾロと中に入って囲炉裏の側に座り込んだ。平八が無遠慮に鍋の蓋を開けた。中には何かよくわからない肉みたいなものが入っていた。それを見て俺が眉を潜めたとき、

ガラッ

木戸が一気に開いて人影が間口に現れた。

その姿。世にも恐ろしい光景だった。しばらく夢でうなされるほど。

それはひょろりと背が高い女だった。

ぼろぼろの服というか布切れを体に纏っている。手足はほとんど露出し胸も半分こぼれているようだったが、泥だかにまみれて黒くなっていた。髪は肩の下腋まであった。

だがそれよりも強烈なのは顔。あれはまさしく鬼の顔だった。縦長の輪郭に梅図かずおの漫画のように真ん丸に剥かれた両目。げっそりとこけた頬。薄く長い唇はわずかに開かれ、涎がしたたっている。俺たちは思わず座ったまま後ずさった。

「お前たちは何者じゃ!どこから来た!」

不意に鬼が叫んだ。口が顔の下半分を覆いつくすように広がった。赤すぎる口内に黄ばんだ歯がまばらに散っている。そして次の瞬間鬼は一足飛びに板の間に飛び移って来た。

「うわあああああ」

俺たちは絶叫してそこらのものを投げつけた。裏口はない。

鬼は左に回り込んで来て逃げ遅れた最年少の子が捕まった。その隙に俺たちは戸口に走った。助けようなどとは思わなかった。戸口でぶつかりながら必死に外に飛び出した。

「待たんかーーー」

鬼の声が追い掛けてきた。俺の後ろでぎゃっと声が聞こえた。

俺たちは必死に走った。抜け出そうとした暗闇が今は恋しかった。

鬼の気配はすぐ後ろにある。激しい息遣いも聞こえてくる気がした。耳に噛みつかれたら、肩を掴まれたら、俺は死にそうになりながら慣れない山道をめちゃめちゃに走った。

と、いきなり地面が崩れて俺は絶叫を上げながら斜面を滑り落ちた。顔は涙鼻水涎でベトベトだった。体が木の幹に激突して止まった。腰が砕けたかと思った。痛くて動けない。

(鬼が来る!)

俺は焦りまくった。必死に起き上がろうとしたか激痛が走って無理だった。ならばと這いずって行こうとしたがゆっくり進むのは恐怖感がひどくてだらずに落ちた方を振り替えって止まった。

辺りは静まり帰っていた。暗い。落ちた場所を見上げた。動いているものはないようだ。

(まさか下に回り込んでいるのでは…)

俺は絶望に気が狂わんばかりになり、とうとう失禁してしまった。とにかくここでは危ないと回りを見渡すとすぐ近くに茂みがある。必死こいてその中に這いずり込んだ。全身が隠れるまで鬼が来ないことを祈った。いつ足首を掴まれて引きずり出されるかと恐怖した。

鬼は来なかった。俺は茂みに仰向けに横たわって震えていた。アホみたいに震えてどうしようもない。このままここで死ぬんじゃないかと思った。初めて、他の奴らはどうしたろうと思った。捕まっただろうか。そしてバラバラにされて鍋で煮込まれ…。

ふとザッザッと足音が聞こえてきた。

全身を凄まじい緊張感が襲った。震えがどうしても止まらない。幸い今は風が吹いている。止むなと思った。止んだら食われる。俺は目を薄く開けて自分が来た方を見た。

足音は近付いてくる。

ザッザッザッ…

いきなり視界にぬうっと鬼が現れた。俺の足のすぐ先にいる。鬼は回りを見渡している。

気付かれる――!?

俺は恐怖と緊張のあまり失神するかと思った。失神したかった。だができなかった。やがて鬼は視界から消えたがまだすぐ近くにいるのは足音でわかる。

「どこじゃー どこにおるー」

突如鬼が叫んだ。地獄の底まで響きわたるようなずしんと重たい声

(ひいいいー)

それだけで殺される気がした。

(俺は死ぬ、死ぬんだ)

そう思った。

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