八百屋の旦那
〜前編〜
もう10年以上前の話の実話。
夏休み、僕は母親に頼まれて知り合いの八百屋でアルバイトをすることになった。近々そこの奥さんに子供が生まれるということで手伝いに行けということだったと思う。
8月31日、バイトの最終日だったからよく覚えている。朝10時頃、八百屋の旦那と僕がトラックで巣鴨の青果市場から戻ってくると、お店の前に人だかりができている。遠目に見ても深刻そうな顔をしている。何よりも妊娠中の奥さんがその中央で泣きじゃくっていた・・・ 青くなった旦那さんが
「なんだ、何があったんだ?」
と慌ててトラックを降り奥さんの所に駆け寄った。僕もすぐ人ごみを別けながら後に続いた。
「いったいどうしたっていうんだ。」
と旦那さんは奥さんの肩に手を置いて優しく語りかけると奥さんはウワーと旦那さんに抱きついて
「あのマンション、イヤ、怖い、何かいる!!!」
(そのときの顔は一生忘れられないが・・・)全くブラシを入れていないボサボサの髪を振り乱し周囲が真っ赤になった目を剥いてそれこぞ狂ったように喚きはじめたのだった
・・・実は八百屋さん夫婦はもともと僕の両親が経営するアパートに長らく住んでいた。この度子供が生まれるというので、お店の近くにある中古マンションを一月ほど前に購入したのだった。
奥さんはまさに錯乱状態で旦那さんに抱きついて大声で泣きじゃくっている。旦那さんはちょっとビックリした顔をしていたが、直に笑って周りを見回した。すいませんっていうような表情をしていた気がする。しばらくそのままの状態が続いていたが、奥さんの鳴き声が少し落ち着きはじめた頃を見計らって旦那さんは奥さんにたずねた。
「なに言っているんだ。何がいるっていうんだ?」
すると奥さんは(夫が帰ってきたので少々おちついたか)涙をボロボロこぼしながら少しづつしゃべりはじめた。
「男がいるの・・・。でも人じゃない。」
「え・・・」
奥さんがいうにはこうだった。
朝4時ごろ旦那さんが市場に行くのを見送ってまた寝たらしいのだが7時ごろ違和感を感じて布団の中で目をさましたら、中年の男の顔が鼻と鼻をこするような距離で浮いていたそうだ。アッと思ったら空に溶け込むように消えていったそうだ。
旦那さんは困惑の極みというような表情をして聞いていた。奥さんは
「あのマンション変よ、なにかあったのよ。」
と旦那さんに泣き叫んでいる。2人ともこれをどう解決していいか全くわからず途方にくれていたようだった。もちろん僕もこんな事態になんて生まれて初めてのことなんでただただ固まっていた。するとそれを聞いて、どこかに電話をしていた隣の果物屋のおばあさんが商品のスイカとメロンを手にもってこちらにやってきて2人にしゃべりはじめた。
「今、地元の不動産屋さんに聞いてみたんだけど、そのマンションに前住んでいた人が近くにいるそうだ。そこにこれもっていって供養してもらいなさい。」
そのおばあさんは他にも何か聞いたようだったがそれ以上なにも言わなかった。旦那さんは
「そうします。」
と言って供物を受け取り、その場はそれでおしまいとなった。
その昼、僕はバイト代をもらいにそのマンションにいくことになった。バイトは午前中だけで、その後は予備校の夏季講習にいくのがその頃の生活だった旦那さんも昼は自宅に戻り、食事と仮眠をするのがいつものスケジュールだった。僕と旦那さんは歩いてそのマンションに向かった。
「おい、ゆうちゃん(僕です)、どう思う?」
旦那さん聞いてきた。
「僕にはよくわからないですが、こんなこともあるんですね。」
「あの部屋、異常に安かったんだよなぁ(バブル期です)。まぁ前の主が亡くなったとは聞いてはいたけど・・・。なにか部屋の壁紙の模様でもそうみえたんじゃないかな?」
そこで僕はちょっと冗談半分に
「写真でも撮ってみたらどうです?それっぽいのとって正体はこれでしたと見せて安心させてあげたらどうでしょう?」
と言ったら
「そうだなぁ〜そうするか それもひとつの方法だよな」
とちょっと考え込みながら言った。
5分ほどでマンションに着きその麗の部屋の前でちょっと待つように言われた。
「ちょっと待ってて、部屋まだ片付いてないしさw。バイト代持ってくるよ。」
「わかりました。」
15分ほど待っていると、旦那さんが出てきた、
「別に変なことはないけどな。はいこれ、ご苦労様でした。」
とバイト代の入った封筒を渡された。それと一緒にフィルムも1本渡された。
「これも現像頼むわ。それっぽいところ撮ってみたよ。俺これから不動産屋に連絡してお供え物もってその前の住人のとこ挨拶してくるよ。」
「わかりました。」
「おう、明日から学校だろ、勉強頑張れよ」
お礼を言って僕は旦那さんと別れた。実はこれが彼との永遠の別れになるとは露とも思わなかった・・・
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