投稿者:水瓶座

タイトル:救急車
聞こえないはずの声や音が聞こえ、おかしな予感が的中しまくる性質を、心底申し訳なく思った話です。

わたしが通っていた高校の隣りには、県内屈指の大規模な救急病院がありました。当然昼夜問わず、頻繁に救急車が駆け付けます。それこそ3年間で一生分の救急車のサイレンを聞いたんじゃないかと思います。1年生の頃こそ気になっていましたが、次第に慣れて、サイレンが聞こえても何とも思わなくなりました。

そんな高校に通い始めて2年目、ブレザーを着ていた記憶があるので、秋だった気がします。その日も隣りの病院には、朝から救急車が続々やってきていました。薄曇りの肌寒い日でした。そしてその日はどういうわけか、すっかり慣れたはずのサイレンが気になって仕方なかったんです。サイレンを聞くたびに胸騒ぎがして、涙が出そうになりました。

4限が終わりお昼休みが始まる頃、その日何度目かのサイレンを聞いたときに、それがきました。誰かが亡くなったという予感です。

それはいつも、昔の記憶がふと蘇るように、とても自然に脳裏を過ぎるんです。そしてそれに抗うことは絶対にできず、

『何考えてんの縁起でもない!』

と我に返っても、ズバリ当たってしまうんです。ただ、いつも『誰なのか』までは判らず、またわたしには直接関係のない方の訃報のみだったので、あまり気にはしていませんでした。誰も信じないだろうからと、ずっと他言せずにいましたが、むしろ自分には特殊な能力があるんだと、面白がってさえいました。思えば、いくら自分には関係のない方でも、それが過ぎった後は必ず『当たった』ことが確認できていたわけですから、恐ろしい話です。

それが過ぎった後はなぜかいつもすっきりした気分になり、午後の授業はサイレンも気にせず普通に受けられました。

しかし放課後、部活へ行ったときに、それを予感してしまったことを激しく後悔しました。仲良しの部員ふたりが号泣していたんです。驚いて訳を訊くと、中学時代の恩師がその日のお昼に突然倒れて亡くなった、と携帯に連絡が来たところだったそうです。

ふたりの恩師はまだ40歳を過ぎたばかりで、幼いお子さんを残しての突然の死だったらしく、本当によくお世話になった、立派な先生だったのにと、友人たちは泣き崩れていました。

そしてふたりはその日の部活を休み、すぐに恩師の搬送された病院へ行きました。

このことがあって、自分のおかしな能力が心底嫌になりました。自分が友人の恩師の命を、何の罪もない小さな子どもの母親の命を絶ってしまったような気さえして、かなり鬱になりました。そのせいか、この後しばらくおかしな予感は封印されました。

しかし数年後、またしてもそれを感じてしまうのですが、それはまた今度。
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