鋏
その次の日、俺はこの前のコーヒーショップでひとり音響を待っていた。
たぶん解決した。
そう言って呼び出したのだが、あながち間違いでもないように思う。この手にある赤いハサミがその象徴のような気がした。
店内の光度を抑えた照明にそっとかざしてみる。一体なぜ地蔵に供えられたはずのハサミがあそこに落ちていたのか、俺には知るよしもなかったがこうして見ると何事ごともないただのありふれたハサミにしか見えなかった。
「遅せぇな」
独り言をいってしまったことに気づいて周囲を気にする。さすがにコーヒーショップにハサミを持った男がひとりでいては気持ちが悪いだろう。そう思って一応念のためにカモフラージュ用の文房具一式と大学ノートを脇に置いてあった。
ふと思いついて、汗をかいたコーラのグラスを持ち上げ、白い紙でできたコースターをつまんだ。右手で持ったハサミを円のふちにあてがう。深い意図があったわけではない。ただ前回、音響が破いたコースターの切れ端に残っていた鋭利な断面が気になっていたからだった。
軽く力を込めて、刃を噛み合わせる。そのとき、予想外のことが起きた。
ぐにょりという鈍い感触とともに、コースターが切れもせずハサミの刃の間に変形して挟まったのだ。
首筋にあたりがゾワっとした。
ギチョン。という音をさせてハサミを開く。コースターがぽとりとテーブルの上に落ちた。確かに少し厚みがあるとはいただの紙なのだ。切れないはずはない。
もう一度ハサミをよく見てみる。そういえば持ったときに何か違和感があった。空中でチョキチョキと素振りをしてみるとその正体に気づいた。
俺は左手にハサミを持ち替えてもう一度コースターに刃をたてる。こんどはシューッという小気味よい音とともに白い紙に切れ目が入っていった。"左利き"用だ。
あるのは知っていたが、現物を見たのははじめてだった。俺は手元の赤いハサミとコースターとを見比べながら、笑いが込み上げてくるのを抑えられなかった。
あのとき、音響は右の平手で俺の頬を叩いた。怖がらせるような意地の悪いことを言った俺を反射的に叩いてしまった彼女に、負い目を持ったのがこの無謀な冒険のきっかけだ。クールそうな彼女にそんなことをさせてしまったという負い目。だが、あのときの彼女にはとっさに利き腕ではない方を繰り出すだけの、理性の働きが確かにあったのだった。
はめられたのかも知れない。そういえば、ノートに地図を描く時の彼女は左手でペンを握っていた気がする。あの平手で俺がなにを感じるか、計算ずくだったとするなら……そのときはじめて俺は、あの暗い服を好む少女に好奇以上の興味を持ったのだった。
1週間後、例のオカルト道の師匠と仰ぐ大学の先輩と会う機会があった。お互いの近況を交換し合うなかで、俺は鋏様の話と《黒い手》騒動の時の少女と再び会ったことを話した。
師匠はニヤニヤと聞いていたが、口を開いたかと思うと
「僕ならその鋏様とやらの髪の毛、ハサミでジョキジョキにしてやったのに」
と言い放ち、俺は心底この人に頼らなくてよかったと胸をなでおろした。
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