雨
大学1回生の夏ごろ。
京介さんというオカルト系のネット仲間の先輩に不思議な話を聞いた。市内のある女子高の敷地に夜中、一箇所だけ狭い範囲に雨が降ることがあるという。
京介さんは地元民で、その女子高の卒業生だった。「京介」はハンドルネームで、俺よりも背が高いが、れっきとした女性だ。
「うそだー」
と言う俺を睨んで、じゃあ来いよ、と連れて行かれた。真夜中に女子高に潜入するとは、さすがに覚悟がいったが、建物の中に入るわけじゃなかったことと、セキュリティーが甘いという京介さんの言い分を信じてついていった。
場所は校舎の影になっているところで、もとは焼却炉があったらしいが、今は近寄る人もあまりいないという。
「どうして雨が降るんですか」
と声をひそめて聞くと、
「むかし校舎の屋上から、ここへ飛び降りた生徒がいたんだと。その時飛び散って地面に浸み込んだ血を洗うために雨が降るんだとか」
「いわゆる七不思議ですよね。ウソくせー」
京介さんはムッとして、足を止めた。
「ついたぞ。そこだ」
校舎の壁と、敷地を囲むブロック塀のあいだの寂しげな一角だった。暗くてよく見えない。近づいていった京介さんが
「おっ」
と声をあげた。
「見ろ。地面が濡れてる」
僕も触ってみるが、たしかに1メートル四方くらいの範囲で湿っている。空を見上げたが、月が中天に登り、雲は出ていない。
「雨が降った跡だ」
京介さんの言葉に、釈然としないものを感じる。
「ほんとに雨ですか? 誰かが水を撒いたんじゃないですか」
「どうしてこんなところに」
首をひねるが、思いつかない。周りを見渡しても、なにもない。敷地の隅で、とくにここに用があるとは思えない。
「その噂を作るための、イタズラとか」
だいたい、そんな狭い範囲で雨が降るはずがない。
「私が1年の時、3年の先輩に聞いたんだ『1年の時、3年の先輩に聞いた』って」
つまりずっと前からある噂だという。
目をつぶって、ここに細い細い雨が降ることを想像してみる。月のまひるの空から地上のただ一点を目がけて降る雨。怖いというより、幻想的で、やはり現実感がない。
「長い期間続いているということは、つまり犯人は生徒ではなく、教員ということじゃないですか」
「どうしても人為的にしたいらしいな」
「だって、降ってるとこを見せられるならまだしも、これじゃあ・・・ たとえば残業中の先生が夜食のラーメンに使ったお湯の残りを窓からザーッと」
そう言いながら上を見上げると、黒々とした校舎の壁はのっぺりして、窓一つないことに気づく。校舎の中でも端っこで、窓がない区画らしい。
雨。雨。雨。
ぶつぶつとつぶやく。どうしても謎を解きたい。
降ってくる水。降ってくる水。
その地面の濡れた部分は校舎の壁から1メートルくらいしか離れていない。
また見上げる。やはり校舎のどこかから落ちてくる、そんな気がする。
「あの上は屋上ですか」
「そうだけど。だからって誰が水を撒いてるってんだ」
目を凝らすと、屋上の縁は落下防止の手すりのようなもので囲まれている。さらに見ると、一箇所、その手すりが切れている部分がある。この真上だ。
「ああ、あそこだけ何でか昔から手すりがない。だからそこから飛び降りたってハナシ」
それを聞いて、ピーンとくるものがあった。
「屋上は掃除をしてますか?」
「掃除?いや、してたかなあ。つるつるした床でいつも結構きれいだったイメージはあるけど」
俺は心でガッツポーズをする。
「屋上の掃除をした記憶がないのは、業者に委託していたからじゃないですか」
何年にも渡って月に1回くらいの頻度で、放課後、生徒たちが帰った後に派遣される掃除夫。床掃除に使った水を、不精をして屋上から捨てようとする。自然、身を乗り出さずにすむように、手すりがないところから・・・
「次の日濡れた地面を見て噂好きの女子高生が言うんですよ。ここにだけ雨が降ってるって」
僕は自分の推理に自信があった。幽霊の正体みたり枯れ尾花。
「お前、オカルト好きのくせに夢がないやつだな」
なんとでも言え。
「でも、その結論は間違ってる」
京介さんはささやくような声で言った。
「水で濡れた地面を見て、小さな範囲に降る雨の噂が立った、という前提がそもそも違う」
どういうことだろう。京介さんは真顔で、
「だって、降ってるところ、見たし」
僕の脳の回転は止まった。先に言って欲しかった。
「そんな噂があったら、行くわけよ。オカルト少女としては」
高校2年のとき、こんな風に夜中に忍び込んだそうだ。そして目の前で滝のように降る雨を見たという。水道水の匂いならわかるよ、と京介さんは言った。俺は膝をガクガクいわせながら、
「血なんかもう、流れきってるでしょうに」
「じゃあ、どうして雨は降ると思う」
わからない。京介さんは首をかしげるように笑い、
「洗っても洗っても落ちない、血の感覚って男にはわかんないだろうなあ」
その噂の子はレイプされたから、自分を消したかったんだよ。僕の目を見つめて、そう言うのだった。
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