薄れ行く日本の美徳
八年前に、祖父が亡くなりました。当時、私の両親は会社を興したばかりで、遠方に営業に行っており、家には老齢の祖母と中一の私、小学生と幼稚園児の弟しか居ません。祖父は永い間病院暮らしをしており数回にわたって脳卒中に陥ったために意識もはっきりしないほどに認知症が酷い状態でした。そのため、家に連絡が来る場合も施設の職員さんが客観的な判断のもとに電話を寄越すのが常です。
日曜日の朝。我が家に電話が鳴り響きました。足の悪い祖母が起き上がってそれにでます。
「すぐにタクシーに乗るよ!」
異様な雰囲気を察した私たち兄弟は食事もとらずにタクシーに飛び乗り祖父の待つ施設へと行きました。
祖父は既に亡くなっていました。遺体にも処理が施され、専用の和室に寝かされています。私たちはすすり泣きました。祖母の悲しい涙を初めて見ました。
死因は、多分脳に関係のあることだと思っていました。しかし、明かされた死因は食事を喉に詰まらせたこと。施設の方針上、流動食の処置もされず、無理矢理、半固形物を与えられていたことを思い出しました。
しょうがなかったとはいえ、ずさんな管理のホームに閉じ込めたことを後悔しています。
葬儀の際。葬儀屋の用意した棺おけに、祖父が納まりきりませんでした。背が高い人だったので、せん無いことかもしれません。しかし、葬儀屋は、祖父の足をまげて無理矢理棺おけに納めました。一族、大顰蹙です。
この国は長寿ですし、我々もいずれは老いていきます。しかしながら、老人を敬う心は次第に薄れ一部のホームの、ずさんに扱われている閉鎖病棟のご老人達は今も悪辣な管理体制下におかれています。
ホームの役割は重要です。家族にできないことをしてくれるわけですから。しかし、その最後のより所も頼りになりません。仏壇に手を合わせるたびに、祖父に申し訳ない気持ちになります。
葬儀が終わって半年後。私はふと思い立って、仏壇に、祖父の好きだった番茶を供えました。心の中で
(おじいちゃんどうか安らかに)
そう祈ったときです。
耳に息がかかりそうな至近距離で祖父の声で一声
「うああ」
と呻き声のようなものが聞こえました。
私はすごい速さで振り向きましたが何もありません。
あの恐怖感…祖父は今も苦しんでいるのでしょうか。それとも、幸せなのでしょうか。幸せならば呻き声ではないでしょうし私もそんな状態の祖父には恐怖を感じないように思います。生前の苦しみを今も患っているとしたらなんともやるせない限りです。今は毎日、お茶をあげるようにしています。
つまらない話でごめんなさい。でも、全部本当の話です。
仏壇に供えられた祖父の遺影、毎日喜怒哀楽がはっきり見て取れます。そのたびに、しっかりしようと自覚します。
ここに書き込んだのは素晴らしいまとめサイトへのお礼と老人に関する問題意識の提議のためです。いい区切りになりました。読んでくださったお方に感謝します。
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