繰り返す悪夢
夢ネタは敬遠される。それは承知なんだが、申し訳ない。少しつきあってほしい。私自身、明晰夢はよく見るし、変わった夢には慣れっこだが、昨夜の夢は全く別物だった。
森の中の小道を一人下っている。すぐにそれは夢だと直感した。鮮やかすぎる緑と坂道を靴底が擦る感覚は、まさしく明晰夢だった。普段は明晰夢と分かるとすぐ目を覚まして眠り直すのだが、なぜかそうしようとは思わなかった。
小道を下る。目の前に現れるのは見知らぬ廃屋。朽ちた木造の日本家屋だった。相当に古い。100年物の建物だが、大きさからすれば家ではなく物置かもしれない。
「こんな家知らない・・・」
思わずつぶやいた。明晰夢に見知らぬ場所が現れたのは初めてだ。
廃屋の中は薄暗いが、開け放たれた木戸から差し込む日光で完全な暗闇ではなかった。埃をかぶったタンスや、蜘蛛の巣がはった姿見が雑然と放置されている。床には木板や小さな木箱、なぜかコマなどがちらかっている。完全な廃墟だ。
おいおい、何で俺はこんな場所に入ってるんだ?何でそんな暗がりに足を進めるんだ?全てが思い通りになる明晰夢の中で、俺は、何を、している?
土間の衝立の向こうを覗き込む。俺はそこに何があるか、きっと「知っていた」。だから驚かなかった。
紫の着物の上に黒く長い艶やかな髪が広がっている。それはうつぶせに倒れた少女の姿だった。両手両足を地面に投げ出したその姿。俺は死体を連想した。
なぜ俺はそんなことをしたのだろう。少女の着物を掴み、仰向けに起こした。思いのほか若い、まだ12・3歳ほどの少女だ。顔は真っ白で生死は分からない。酷くやせていて、そして、そう。今思い出したが着物がびしょびしょに濡れていた。
突然、俺の携帯電話が鳴った。場違いな、しかしできすぎたタイミングに肝を冷やす。メールの着信だった。タイトル無し。
『あけみ』
あけみ?なぜか、この少女の名前だと思った。その瞬間再びメールが着信した。
『つきし』
なんだこれは?今度こそ本当に訳が分から・・・
「うおお!?」
眼前に迫ったそれを両手で振り払った。少女が跳ね起きて両手を俺に突き出したのだ。目が開かれている。淀んだ、いや、腐った目だ。いやいや、なぜ気づかなかった!少女は最初から。全身が腐敗していたじゃないか!生きているはずがない!少女が口を開けた。腐った顎は肉を断ち切りながら限界を越えて開く。俺を、喰らうために。
「うわああああ!」
絶叫で覚醒した。現実に戻る。時計がチクタクと時を刻む。
ここは、俺の部屋だ。目を開いて部屋を見渡した。今のは夢、夢だ。息を整えて、気持ちを整理しよう、大丈夫、ただの変わった明晰夢だ。まずは一度起きてキッチンで飲み物でも飲んで・・・
俺は森の小道を下っていた。
「な、なんで!起きたはずだ!今確かに目覚めた!」
だが、間違いなく俺は再びあの夢の中に迷い込んでいた。
おい、どうなってる?こんなのは明晰夢じゃない。明らかに、全く、未体験の、別の、おぞましい何かだ。
俺はまた森を下る。廃屋を歩く。土間を覗き込む。紫の少女が倒れていて、抱き起こす。まるで、そう決まっているかのように俺はそうした。何の感情もなかった。だから、そう決まっているかのように、携帯は場違いな着信音を鳴らす。さっきと同じだ『あけみ』『つきし』そして、少女が跳ね起きる!
突き出された両手を払いのけ、俺は振り向きざまに走った。
逃げろ、逃げろ。この化け物から、この夢から逃げろ!追ってくる気配はまだ遠い、この廃屋から出れば、きっと逃げられる。
もつれた足を無理やり加速する。土間から何かが駆け出してきた音がする。
いける、逃げ切れる、あと三歩。二歩。・・・やった、抜けた!振り返りもせず廃屋を出た。瞬間、覚醒する感覚があった。逃げ切った!
やっと現実に戻った。俺は恐怖にあえぎながら目を開く。そこは。またしても。廃屋の入り口だった。ぞっと、全身の毛が総毛立つ。
何度、繰り返す?いつ、この夢は終わる?もう、恐怖に気が狂いそうだ!誰か、俺の目を覚ましてくれ!夢から出してくれ!
体が勝手に廃屋を進む、駄目だそっちは駄目だ女に近づくな女に触れるな、今すぐそこから逃げ出せ、くそ、メールなんか見てる暇はない!
『あけみ』『つきし』
弾かれたように目の前の腐った両手を弾いた。やっと、体の自由を取り戻す。振り返って逃げる。背後に気配が迫る。さっきよりもずっと近い、畜生!
廃屋から駆け出すが、覚醒の感覚はない。今度は逃がさないつもりかよ!
足がもつれる、心臓が破裂しそうだ、ひたすらに森の小道を駆け上る。少女はすぐ後ろまで追いついている、畜生、畜生、逃げろ、駆けろ。
気配がすぐ首の後ろだ。ぞっとした。瞬間、心臓が止まったような気がした。走りながら後ろを振り返ると、腐汁を垂らしながら裂けた大きな口が・・・
「うおおおおお!」
絶叫だった。今度こそ完全に目覚めた。ベッドから上体を起こした。もう寝ない、絶対に寝ない。心臓はまだばくばくと興奮し、全身汗だくだ。今のは夢じゃない。もっと恐ろしいものだ。もし、逃げ切れなかったら、どうなったのだろう?考えるとますます恐ろしくなった。思わず携帯に手を伸ばした。
寝ては駄目だ、彼女にでも電話しよう、誰かと話して、もう今夜は寝ないでいよう。
その時。携帯に着信があった。メールだ。おい、待て、まさか。
『あけみ』
「・・・馬鹿な、そんなのって無いだろ・・・」
当然のように二件目を受信する。
『つきし』
「うわあああ!」
叫んだ。もはや止めようもなく世界は暗転した。
衝立に手をかけている。土間を覗き込もうとしている。もう、駄目だ。致命的で絶望的な何かを越えた。逃げ切れない、そう思った。少女を抱き起こす。携帯はまたしても謎の二件を受信する。
『あけみ』『つきし』
「なんだって?」
三件目だ。今までに無かった、三件目のメール。漢字一文字だった。
『骸』
少女が掴みかかる。三件目を見ていた俺は、反応が遅れた。それはきっと致命的な遅れ。今までは振り払えた手が払えない。少女の腐った右手が、俺の左手をきつく掴んだ。
少女は、きっと、笑った。腐った口の両端を吊り上げて。そしてそのまま口が裂けた。大きく口が開く。俺の喉笛を食い破ろうとしているのだろう。
俺は、不思議にも冷静さを取り戻した。少女に掴まれている左手。掴まれている。しっかりと、食い込むほど強く掴まれている。この感覚は知っている。現実の世界で、何万回と繰り返した感覚だ。鍛え抜いた、あの型だ。なら、いける!!
鼻からの吸気を一気に丹田に落とし込む。身体は既に自然体。恐怖はかき消えた。化け物の首筋に右の手刀を打ち込みつつ、左半身を捌きつつ落とし込む。座技・片手取り引き落としの呼吸投げ。俺の最も得意とする技の一つだ。化け物だろうが、力を持って制しようとするなら、合気は負けない!
少女は俺に食いかかろうとする勢いそのままに宙に浮き、壁際のガラクタの山に突っ込んだ。即座に立ち上がり、構えをとる。未だ起き上がらない化け物の背に一喝した。
「さっさと来やがれ!」
目が覚めた。さっきまでの追い詰められた覚醒ではない。毎朝どおりの普通の目覚めだ。気分は、相変わらず最悪だったが、もう、今の悪夢を見ることは無いだろうと感じた。
メールに『あけみ』と『つきし』の受信履歴は無かった。どこまで夢だったのか、あるいは元から夢では無かったのか、もう分からない。
『あけみ』『つきし』『骸』の意味も不明。「あけみつきし」はググってみたが分からん。原因は全く不明。昨日の日中、有名な某心霊スポットに行ったが、関係はないと思う。
意味が分からないうえに、オチがヘンテコですまん。がマジで怖かった。と、合気道やっててよかった。以上、長文すまん。
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