帰省
〜後編〜
迎えに出てくれた父の顔も暗くどんよりとしたもので、私の心にあった父のイメージとかけ離れていました。家の中に入っても、澱んだような空気は変わらず、むしろより強くなっているようです。古井戸の底の空気というのはこういったものなのかもしれません。
彼女を両親に紹介したのですが、なんだかお互い口数も少なく、ほんとうに形だけのやり取りのように済まされました。私以上に、彼女のほうが何かを強く感じているようで、いつもの明るい彼女とは別人のようでした。しきりにこめかみを押さえたり、周囲を気にしたり、落ち着きの無い様子で、私が話しかけても俯いたまま聞き取れないような小さな声で何事かつぶやくだけなのです。
私自身、家の中の何か異様でただならぬ空気を感じていたので、彼女に対してもう少し明るく振舞ってくれなど言えませんでした。ただ、これ以上気まずい雰囲気にならなければと思っていました。
夕食のときも、お互い積もる話があるはずなのに、誰の口からも言葉が出ることなく、食べ物を咀嚼する音だけが静かな部屋に響いていました。食後、私の母が彼女にお風呂を勧めたのですが、彼女は体調が優れないのでと断り、私が入ろうとしたときも、一人で部屋に残るのが心細いのか、早く戻ってきてと言いました。その様子があまりに真剣なので、私も不安になり、いやな予感もしたので風呂に入るのをやめて、そのまま母が敷いてくれた蒲団につき、早々と寝ることにしました。
電車に長時間乗っていた疲れもあってか、彼女は明かりを消すとすぐに寝ついたようで、安らかな寝息が私の傍らから聞こえはじめました。普段から寝つきの悪い私はいつもと違う枕と蒲団の中で、さまざまな事柄が頭の中でちらついてなかなか眠れませんでした。
この家全体に満ちている澱んだ空気、断片的に思い出される記憶、私は落ち着き無く寝返りを繰り返し、いろいろなことを考えていました。家の前にガソリンをばら撒いて火を放った伯父さん、あれから一度も姿をみせず、何年後かに亡くなったと聞かされたが実感が無かった、葬式も無く、ただ死んだときかされた。幼いうちに死んだもう一人の伯父さんはちゃんとお葬式をしてもらえたのだろうか、そんなことを考えているうちに、私はこの家に漂う澱んだ空気を吸うことさえ厭な気がしてきました。
家の外、庭先で鳴く虫の声に混じって聞こえる木々のあいだを縫う風の音は、何か人の呻き声のようにも聞こえます。その音にじっと耳を傾けると、それが外からではなく家の中から聞こえるようにさえ感じました。不安感と共に、私は蒲団のなかで身体から滲む汗に不快感を抱きながらいつのまにか眠りに落ちていました。
夢を見ました。恐ろしい夢でした。夢の中には私がいました。幼いころの私です。その私の首を父が絞めているのです。その後ろには祖父もいました。私は恐怖を感じましたが、不思議と苦しくはありませんでした。
翌朝目覚めると、隣で真っ青な顔した彼女が蒲団をきちんとたたんで、帰り支度をしていました。寝汗を吸い込んだTシャツを脱ぎながら、私は彼女にどうしたのとか尋ねました。
彼女はただ、帰る、とだけ言いました。 昨日きたばかりなのに……と言葉を濁していると、あなたが残るなら、それは仕方がないわ、でもわたしは一人でも帰る、そう青ざめた顔のまま言いました。
はっきり言って私もそれ以上実家にいたいとは思っていませんでした。しかし、両親になんと言えばいいのか分からないです。なんと説明すれば良いのか、そんなことを考えていると、昨夜の夢が脳裏にちらつきました。幼い私の首を絞める父。
とにかく私も蒲団をたたみ、着替えを済ませてから、居間に向かいました。大きなテーブルの上座に腰掛けた父は新聞を広げていました。再び悪夢が脳裏を掠めます。わずかな時間に私はいろいろと考えてから、口を開いて、彼女の体調があまり優れないし、今日、もう帰ろうと思うんだ、そう言いました。
言ってから何かおかしなことを言っているなと思いました。体調が悪いのにまた電車に乗って長いあいだ移動するなんて。しかし、父は深く一度ため息をついてから、そうか、そうしなさい、あのお嬢さんをつれて東京に戻りなさい、そう言ったのです。
なにか呆然となりました。自分のわからない事柄が自分の知らないところで勝手に起こって進んでいる、そして自分はその周りでわずかな何かを感じているに過ぎない、そんな気持ちです。
居間を後にして、部屋に戻ると彼女はもう帰り支度をすべて終えて、今にも部屋から出ようとしているところでした。私は彼女に少しだけ待ってくれと言い、自分も急いで帰り支度をして、彼女といっしょに両親のもとへ行きました。父も母も元気でとだけ言い、それ以上何も言いませんでした。
私は何かを言わなければ、何か訊いておかなければいけないことがある、そう思いましたが、それが何かわからない、そんな状態でした。彼女の一刻も早くこの家から離れたいというのが、その様子から見て取れたので、私はお決まりの別れ言葉を残し、家を出ました。
家から出ただけで、あの澱んだ空気から開放された感があり、私はずいぶんと気が楽になりました。しかし、彼女は駅に着き電車に乗るまで、何一つしゃべりませんでした。一度も振り返ることなく足早に歩いて、少しでも家から遠くに、そんな感じです。
電車に乗ってから、私は彼女の様子が落ち着くのを見計らって、大丈夫、どうかしたのか、尋ねました。 彼女はしばらくのあいだ下を向いて、なにやら考え込むようなしぐさを見せ、それから話し始めました。
「ごめんなさいね、本当に悪いことをしたと思ってるわ、せっかく久しぶりの帰省なのにね、それにわたしから挨拶しておきたいなんて言っておいて、ほんとうにごめんなさい、ちゃんと説明してほしいって思ってるでしょ、でもね、できないと思うの、わたしがあの家にいるあいだに感じたことや経験したことを、わたしからあなたに伝えることが、わたしにはできないの、ごめんなさい」
彼女はそう言って、溢れ出しそうになる涙を手の甲でおさえました。私も泣き出しそうでした。何か分からない、彼女がなにを言っているのかよくわからない、でも、私自身あの家にいるあいだに、確かに澱んだ何かを感じたのを覚えています。だから、私には彼女を責めることはできませんでした。涙をおさえながら彼女はもう一度
「ごめんね」
と言い、私の名をその後に付け加えました。そのときです。私は、あることに気がつきました。どうして、今まで一度もそのことを疑問に思わなかったのでしょう、信じられないくらいです、いまま何度となく、いろいろな場でペンを手にとり書いたこともあり、自分の声で言葉に出したこともあるのに、なぜ一度も疑問に思わなかったのでしょうか、私は一人っ子であるにもかかわらず、 なぜ「勇二」という名前なのだろう。
もちろんそれだけで、何かが変わるわけではないでしょう。かし、私はよみがえって来たさまざまな記憶と、あの家で感じた空気、そして彼女の怯えたような様子、そして何より、私があの夜に見た悪夢、幼い私が首を絞められていると思っていましたが、よく思いだしてみると、微妙に幼いころの私と違うような気がするのです。
あれから一年近く経ちました。彼女とは、東京に戻ってから、時と共に疎遠になってしまいました。どちらからというわけでもないのです。お互い、何か避けるように、自然と会わなくなってしまったのです。
私は彼女を愛していましたが、自分が、もう決して幸せというものに近づくことができないような気がしています、それで彼女と面と向かうことができません。今でもたまに、電話がかかってくることがありますが、彼女はあれからも、あの家でのことを話してはくれませんし、私からも何もいえません。
私は自分の思っていることすべてを書くことができませんでした、怖いのです、彼女があの家であったことを話すことができないように、私も、自分の家、自分の生について思っていることすべてを語ることはできません。
最後まで読んでくださった方にはこの場でお礼を申し上げておきます。
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