投稿者:すイか
タイトル:タイミング
タイミング。
不思議な体験をするためには、おそらく、それが重要なのでしょう。心霊スポットに行ったとしても、幽霊を見ない人のほうが多い、と聞きます。
やはりそういうのも、タイミングが悪かった…あるいは良かった、ということなのだと思います。ただ、困ったことにそのタイミングというやつは、本人の及びのつかないところで、突然、訪れるものなのです。
それは、私が高校生だったときのこと。
その日はバイト先でトラブルがあり、いつもなら午後八時に終わるはずの仕事が長引いてしまい、いつもの帰宅ルートである、長く、暗い山道に入ったときには、既に九時をまわっていました。
明確な日時は覚えていませんが、十月の終わりから、十一月の始めの頃だったと思います。空気が冷えていて、月の綺麗な夜でした。
ちょうど山道に入って半分あたり。そこは左側の斜面が切り開かれており、少し奥まったところに鳥居。さらに奥にいけば、やや長い石段。その石段を上れば社。小さな八幡神社がある場所なのです。
しかし、その日は、暗闇に慣れた目が、とてつもなく奇妙なものをとらえたのです。
鳥居の直前で正座をして石段の上を見上げている、真っ赤な着物を着たおかっぱの少女。
こんな時間に女の子が一人というだけでも、十分おかしい。鳥肌がたちました。
この寒い時期に、着物の上には何も着ておらず、舗装されているとはいえ、地面に直接座っています。
心臓が早鐘を打ちました。
姿勢をただし、頭はやや上を向いたまま微動だにせず、ただずっと、石段の上を見上げています。
頭は混乱して、様々な思考が、浮かんでは消えを繰り返します。
何故一人きりでこんな場所に動くことなく………いや待て。そもそもあれは…人…なのか?
足は、自転車のペダルを踏み込みます。
………停まれませんでした。
私が少女を発見したのは、五十メートルほどの距離になってから。
もし、止まったときに少女に気付かれたら?もし、方向転換をしているときに、少女が近づいてきたら?
そう思うと、もはや停まれるはずもなく、ただただ、息を潜めて少女の背後を通りぬけることしかできませんでした。
例えば怪談であれば、少女の背後を通りすぎた瞬間に追いかけられたりするものなのでしょうが、実際はそんなこともなく、背後をぬけてからも視線をはずさなかった私の視界から消えるまで、少女は石段の上を見上げていました。
そんなに歴史のある神社でもないし、曰く付きの土地とかいうのでもない。お正月には少ない地元の人間が初詣にもやってくる。
そんな場所で私が見たのは、一体何だったのでしょうか?
一つの解答として、あれは神社の神だったのではないか?と、今では思っています。神無月という言葉もあるくらいですし、例えば出雲大社に出向いていた、或いは出向こうとしていた神が、己の家を見上げていた。
そう思えば、鳥肌をたてて冷や汗をかいたあの体験も、かなり良いタイミングに立ち合った出来事。と思えてくるから不思議ですね。
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