追跡
曰く、経験的に危険性が高い情報ほど、手前で知るのだと。う○こを踏みそうになるときは二日前に見てるし、カレーうどんの汁が散るときは3日前に見てる。骨折しそうになるときは2週間前……といった具合だ。もっとも必ずというわけでもない。"前倒し"が起こるのは、体調が悪いときが多いのだそうだ。あんまり早く"思い出し"てしまうと、それが起こるまでに忘れてしまう。
「役に立たないでしょう」
役に立たなかろうが、俺のような凡人には理解できない世界の話だ。
「それ、半分は備忘録なの」
と、彼女は冊子をもう一度指さす。彼女はこう言っているのだ。
師匠の行方がわからないというこの事態を、2年前に予知してしまっているから今は勘が働かないのだ、と。
「どんな話を書いたのか、忘れちゃったけど」
はじめて彼女は少し笑った。
俺は改めて毒物でも触るような思いでその冊子を開く。
「『追跡』って話です」
俺がこれから師匠を探しに行くという筋のようです、と言うと彼女は
「ついてく」
と主張した。もちろん断る理由はない。彼女が2年前に知ってしまったというその意味をあまり深く考えないようにした。
俺は冊子を持って部室を出る。冬の寒空も、今は苦にならない。
心の準備が出来るまで次のページには行かないほうが良い。
という文字を3回心の中で読んでから、次のページをめくった。
「……まず、ゲームセンターのようです」
実際にある場所の名前が出てくる。俺は彼女と二人で自転車に乗ってそこへ向かった。街なかの大きなゲームセンターだ。
中に入り、一通り見て回るが師匠の姿はない。『追跡』に主人公がプリクラを撮る描写があったので、一応コーナーに行ってみたが若い女性たちでごった返していて、気後れしてしまった。それに先を読むと、結局ゲームセンターでは手掛かりはなかったということになっているので無意味だと俺は言ったが、彼女は
「書いてある通りにした方がいい」
と言う。
そのとき、今更ながら先に最後のオチの部分を読んだ方が早くないかと思ったのだが、彼女が
「そういうことをしたと書いてるの?」
と言うので首を振って諦める。不吉な予感にドキドキしながらも、俺は俺なりにこの状況を楽しんでいたのかも知れない。
結局、連続して延々と同じメンバーでプリクラを撮っている女子高生たちにイライラしながらも順番待ちの列に並び、最後には彼女と一緒に写真におさまった。
『追跡』には主人公に女性の連れがいるとは書いてないが、まあこれくらいはいいだろう。
出てきたシールをまじまじと見ながら、俺はなんだか引っ掛かるものを感じていた。それがなんだかわからないまま、次の場所を確認する。
「次は、雑貨屋です」
ゲームセンターから少し距離がある。若者で溢れかえる通りだが、平日なので人手はさほどでもない。自転車をとめて、カジュアルショップ周辺に広がるこじんまりとした地下街へと降りる。
聞いたことはあったが、来るのは初めてだった。ファッションには疎いので今ひとつよくわからないが、とにかく流行っている雑貨屋らしい。和洋入り混じった色とりどりのアイテムを目の端に入れながらも、師匠の姿を探す。しかしその影はなかった。一応店員にそれとなく聞いてはみたが、首を振るだけだった。
雑貨屋でもやはり手掛かりはなかった。
溜息をついて『追跡』を閉じる。連れが見えなくなったので探していると、カツラのコーナーにいた。「ウィッグ」だと訂正されたが、違いはわからなかった。
彼女はその後、血糊のついたようなデザインのピコピコハンマーが気になった様子で、散々俺を待たせたあげく結局別のものを買ったようだった。店を出るとき、ゲームセンターのときにも感じた引っ掛かりがもう一度脳裏を過ぎる。
「次は……喫茶店です」
また自転車に乗って移動する。地球防衛軍という怪しげな店名が出てくるが、俺も彼女も知らなかったので、『追跡』の描写を頼りにそれらしき通りをウロウロした結果、ようやくビルの窓にその名前を見つけ出した。
古そうなビルの、知らない店に入るときは、階が上なほどドキドキする。入り口のドアを開けると、やはりというか遊び心の多い内装が目に飛び込んで来た。フィギュアやミニカー、インベーダーゲーム、そして漫画が店内狭しとならんでいる。
ともあれ店内を見回したが、常連らしき数人の客の中には師匠はいなかった。がっかりはしない。ここではわずかな手掛かりを得られるはずだから。
腹が減っていたので、ラーメンを注文する。『追跡』で主人公が頼むのを読んでいたので、メニューも見ずに言ったのだが本当にあったらしい。目の前で袋入りの即席めんをマスターが開けはじめたときは、少し驚きはしたが。
待っている間、どこからか彼女が見つけてきた黒ひげ危機一髪で遊びながら、黒ひげが飛び出たら勝ちなのか負けなのか意見の食い違いで揉めていると、
「出たら勝ち」
と言いながらマスターがラーメンをテーブルに置いていった。
食べはじめると、足元に猫が擦り寄ってきた。どんな店なんだ。
食べ終わって、ドンブリがどう見てもすり鉢だったことには突っ込まずにマスターを声をかける。
「ああ、そういえば3,4日前に来てた」
やはり師匠は常連だったらしい。いい趣味をしている。
「連れがいたような気がする」
ポロリと漏らした一言に食いつく。
「いや、でもよく覚えてない」
わずかなヒントを得た。
『追跡』を確認するが、どうやらここではこれまでのようだ。諦めて店を出る。ドアを閉めるときに、店の奥からビリヤードの玉が弾ける音が聞こえた。
「次は」
と言いながら階段を降りる足が止まる。
心の準備が出来るまで次のページには行かないほうが良い。
何度目かのこの文章をめくると、次のページにはかなり核心に近づく展開があった。
「次は、ボーリング場です」
また自転車にまたがる。
この時点で彼女に俺の推測を告げるか迷ったが、表情を変えずに自転車をこぐ姿を振り返って、思いとどまる。やはり彼女は苦手だ。何を考えているかわからない。
自転車から降り、何度か来たことのあるボーリング場に入る。
「プレイは?」
「ここでは店員に話を聞くだけのようです」
少し、やりたそうだった。それを尻目にカウンターに向かう。
「ああ、多分わかりますよ」
師匠の名前を告げると、あっさりと調べてくれた。茶髪の若い店員だった。客のプライバシーなどどうでもいい程度の教育しか受けていないのだろう。もっとも今はそれが有難かった。
しばらくすると、師匠の名前がプリントされたスコアが出てきた。日付は3日前で、午後2時。やはり。以前一緒にボーリングをやったとき、本名でエントリーしていたのを覚えていたのだ。師匠のGの多いスコアなどどうでもいい。俺と彼女の視線は、もう一人の名前に集中していた。
それはどうぶつの名前だった。
その通り、「ウサギ」という名前が師匠の横に並んでいた。
ゲームセンターから感じていた引っ掛かりがほどけていく。プリクラ、流行の雑貨屋、ネタ系の喫茶店。まるきりデートコースじゃないか。そして動物の名前でエントリーするなんて、若い女性と相場が決まっている。
俺は恐る恐る彼女の顔を盗み見たが、その表情からは心中を推し量ることは出来なかった。師匠よりもGの多い「ウサギ」のスコアから、いやらしさのようなものを感じて、思わず目を逸らした。なんとなく二人とも無言でゲームセンターを後にする。
心の準備が出来るまで次のページには行かないほうが良い。
本当に心の準備が要った。そして俺は、天を仰いだ。行けと?ラブホテルへ?彼女をつれて?迷いというより、腹立たしさだった。
そんな俺の混乱を知ってか知らずか、彼女は
「次はどこ? 行きましょう」
と言うのだ。行き先を告げないまま、暗澹たる思いで自転車をこぐ。ホテル街へ踏み入れた時点で、彼女もなにが起こっているかわかっただろう。近くの駐輪場に自転車をとめて歩く。彼女は黙ってついてくる。その名前が、あまり下品ではなかったことなんて、なんの慰めにもならない。あっさりと見つけた看板の前で立ち止まって俺は真横に指を伸ばした。
「で、入るの?」
いつもと変わらない声色にむしろ緊張してくる。ジーンズのお尻に挟んで、かなりシワクチャになってきた『追跡』を広げ、
「入ります」
と言う。
「でも」
と言いかけた俺を引っ張るように彼女は中に入っていった。俺はこのシチュエーションに心臓をバクバクさせながらもついていく。
「205号室」
と俺に言わせ、彼女は手しか見えない人から何かのカードを受け取る。ズンズンと廊下を進み、部屋番号に明かりの点ったドアを開ける。
続く
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