田舎
〜前編〜

翌日、CoCoさんから「キョースケOK」とのメールが来た。同じ日に、「なんか、一緒に来たいって行ってるけどいいか?」と、CoCoさんの同行を少し申し訳なさそうに師匠が尋ねてきた。もちろん気持ちよく了承する。これで里帰りの準備が整った。そして試験の出来はやはり酷いものだった。

俺と師匠は南風という特急電車で南へ向かっていた。甘栗を食べながら、俺は師匠に「何故俺の田舎に興味があるのか」という最大の疑問をぶつけていた。京介さんとCoCoさんは一つ後の南風で来るはずだ。師匠にはCoCoさんが用事があり、少し遅れて来ることになっており、京介さんに対しては、俺は一日早く帰省して待っていることになっていた。

「う〜ん」

と言ったあと、もう種明かしをするのはもったいないな、という風を装いながらも、師匠は俺の田舎に伝わる民間信仰の名前を挙げた。なんだ。そんな拍子抜けするような感じがした。田舎で生活する中でわりと耳にする機会のある名前だった。別段特別なものという印象はない。

具体的にどんなものかと言われると少し出てこないが、まあ困ったことがあったら、太夫(たゆう)さんを呼んで拝んでもらうというようなイメージだ。それは田舎での生活の中に自然に存在していたもので、別段怪しげなものでもない。もっとも、一度か二度、小さいときになにかの儀式を見た記憶があるだけで、どういうものかは実際はよくわからない。

どうして師匠がそんなマイナーな地元の信仰を知っているのだろうと、ふと思った。京介さんもやっぱりそれに対して反応したのだろうか。

「それ、なんですか」

窓の外に広がる海を頬杖をついて見ていた師匠の首筋に、紐のようなものが見えた。

「アクセ」

こっちを見もせずにそう言ったものの、師匠がアクセサリーの類をつけるところを見たことがない俺は首を捻った。俺の視線を感じたのか胸元に手をあてて、師匠はかすかに笑った。

その瞬間、なんとも言えない嫌な予感に襲われたのだった。ガタンガタンと電車が線路の連結部で跳ねる音が大きくなった気がして、俺は理由もなく車内を見回した。

いくつかの駅で停まったあと、電車はとりあえずの目的地についた。

「ひどイ駅」

と開口一番、師匠は我が故郷の駅をバカにした。

駅周辺にある椰子の木を指差してゲラゲラ笑う師匠を連れて街を歩く。「遅れて」来るCoCoさんを待つ間、昼飯を腹に入れるためだ。途中、ボーリング場の前にある電信柱に立ち寄った。地元では通の間で有名な心霊スポットだ。夜中、その前を歩くと電信柱に寄り添うように立つ影を見るという。見たあとどんな目に会うかという部分は、様々なヴァリエーションが存在する。

話を聞いた師匠は「ふーん」と鼻で返事をして周囲を観察していたかと思うと、やがて興味を無くして首を振った。

先に進みながら師匠を振り返り、

「どうでした」

と聞くと、Tシャツの襟元をパタパタさせながら

「なにかいるっぽい」

と言った。なにかいるっぽいけど、よくわかんない。よくわかんないってことは、大したことない。大したことないってことは、よけいに歩いて暑いってことだよ。不満げにそう言うのだった。

確かに暑い日だった。本格的な秋が来る前の最後の地熱がそこかしこから吹き上がって来ているようだった。

師匠が

「サワチ料理が食いたい」

と、まるでトルコに旅行した日本人がいきなりシシケバブを食べたがるようなことを言うので、昼から食べるものではないということを苦心して納得させ、二人で蕎麦を食べた。

アーケード街をぶらぶらと散策したあと駅に戻ると、ワンピース姿のCoCoさんといつもと同じジャケット&ジーンズの京介さんがちょうど改札を出て来る所だった。

「よお」

と手を上げかけて、京介さんの動きが止まる。師匠も止まる。と思ったのもつかの間、一瞬の隙をつかれてチョークスリーパーに取られる。

「何度引っ掛けるんだお前は」

頭の後ろから師匠の声がする。口調が笑ってない。

「何度引っ掛かるんですか」

俺は右手を必死に腕の隙間に入れようとしながらも強気にそう言った。向こうでは、踵を返そうとする京介さんをCoCoさんが押しとどめている。俺とCocoさんの説明を中心に、師匠がよけいなことを言って京介さんが本気で怒る場面などを経て、実に15分後。

「暑いし、もういいよ」

という京介さんの疲れたような一言で、同行四人という状況が追認されることになった。

思うにこの二人、共通点が多いのが同族嫌悪となっているのではないだろうか。無類のオカルト好きであり、ジーンズをこよなく愛し、俺という共通の弟分を持ち、それからこの後に知ったのであるが二人とも剣道の有段者だった。

俺はよくこの二人を称して磁石のS極とS極と言った。その時もお互いの磁場の分だけ距離を置いていたので、その真ん中でCoCoさんにだけ聞こえるようにその例えを耳打ちすると、彼女は何を思ったのか

「二人とも絶対Mだ」

とわけのわからない断言をして、俺にはその意味がその日の夜までわからなかった。夜になにかあったわけではない。ただ俺がそれだけ鈍かったという話だ。

ただ一つ、そのときに気になることがあった。さっき師匠にチョークスリーパーを掛けられた時に感じた不思議な香りが、かすかに鼻腔に残っている。

まさかな。

そう思ってCoCoさんを見たが、あいかわらず何を考えているのかよくわからない表情をしていた。そうしているうちに、駅のロータリーに車がついた。

四人の前で作業着を着た初老の男性が車から降りながら手を振る。伯父だった。バスなり電車なりで行けるよ、とあれほど言ったのに

「ちょうどこっちに出てくる用事があるき」

と車で迎えに来てくれたのだった。

ところどころに真新しい汚れのついた作業着を見て、そんな用事なんてなかったことはすぐわかる。

久しぶりの俺の帰省が嬉しかったのだろう。俺が連れてきた初対面の3人と愛想よく握手をして、

「さあ乗ったり乗ったり」

と笑う。

ここから村までは車で3時間は掛かる。車内でも伯父はよく喋り、よく笑い、それまでの険悪なムードはひとまず影を潜めた。

日差しの眩しい国道を気持ち良く疾走する車の、窓の向こうに広がる景色を眺めながら、俺は来て良かったなあと気の早いことを考えていた。

思えば、その無類のオカルト好きが二人揃って俺の帰省について来ると言い出した事態の意味を、その時もう少し考えてみるべきだったのかも知れない。

紺屋の白袴と笑われても仕方がない。俺は、俺のルーツでもある山間部の因習と深い闇を、知らな過ぎたのだった。

だがとりあえず今のところは、ひたすらに暑い日だった。

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