奇形
俺にはオカルト道の師匠がいるのだが、やはり彼なりの霊の捉え方があってしばしば「霊とはこういうもの」と講釈をしてくれた。師匠曰く、ほとんどの霊体は自分が死んでいることをよくわかっていない。事故現場などにとどまって未だに助けを求めているやつもいれば、生前の生活行動を愚直に繰り返そうとするやつもいる。そういうやつは普通の人間が怖がるものはやっぱり怖いのさ。ヤクザも怖ければ獰猛な犬も怖い。キチガイも。怒鳴ってやるだけで、可哀相なくらいびびるやつもいる。問題は恫喝にもびびらないやつ。自分が死んでいることを理解しているやつには関わらない方がいい、といったことなどをよく言っていたが、これは納得できる話だしよく聞く話だ。しかし、ある時教えてくれたことは師匠以外の人から聞いたことがなく、未だにそれに類する話も聞いたことがない。俺の無知のせいかもしれないが、このスレの人たちはどう思うだろうか。
大学二年の夏ごろ、俺は変わったものを立て続けに見た。最初ははじめて行ったパチンコ屋で、パチンココーナーをウロウロしているとある台に座るオッサンの異様に思わず立ち止まった。下唇が異常なほど腫れあがって垂れ下がっている。ほとんど胸に付くくらい、ボテっと。そういう病気の人もいるんだなあと思い、立ち去ったがその次の日のこと。街に出るのにバスに乗り、乗車口正面の席に座ってぼうっとしていると前の席に座る人の手の指が多いことに気付いた。肘掛に乗せている手の指がどう数えても6本あるのだ。左端に親指があるのはいいのだが反対の端っこに大きな指がもう一本生えている。多指症というやつだろうか。その人は俺よりさきに降りていったが、他の誰もジロジロみている気配はなかった。気付かないのか、と思ったがあとで自分の思慮のなさに思い至った。
そしてまた次の日、今度は小人を見た。これもパチンコ屋だが、子供がチョロチョロしてるなあと思ったら顔を見ると中年だった。男か女かよくわからない独特の顔立ちで、甲高い声で「出ないぞ」みたいなことを言っていた。足もまがってるせいか、かなり小さい。背の低い俺の胸までもないくらい。こんどはあまりジロジロ見なかったが、奇形を見るのが立て続いたのでそういうこともあるんだなあと不思議な気持ちになった。
このことを師匠に話すと、喜ぶと思いきや難しい顔をした。師匠は俺を怖がらせるのが好きなので「祟られてるぞ」とか無責任なことを言いそうなものだったが。暫く考えて師匠は両手を変な形に合わせてから口を開いた。
「一度見ると、しばらくはまた他人を注意して見るようになる。そういうこともあるさ。蓋然性の問題だね。ただ、さっきの話でひとつおかしいところがある。乗車口正面の席は右手側に窓があるね」
何を言い出すのかと思ったが頷いた。
「当然その前の席も同じだ。さて、君が見た肘掛に乗せた手は右手でしょうか、左手でしょうか」
意味がわからなかったので、首を振った。
「窓際に肘掛があるバスもあるけど、君によく見え、また他の人が気づかないのを不思議に思うという状況からしてその肘掛は通路側だ。ということは親指が左側にあってはよくないね」
あっ、と思った。
「左手が乗ってなきゃいけないのに、乗っていたのはまるで右手だね。6本あったことだけじゃなく、そこにも気付くはずだ。聞いただけの僕にもあった違和感が、ジロジロ見ていた君にないのはおかしい」
これから恐ろしいことを聞くような気がして、冷や汗が流れた。
「他の2つの話では、女なのか男なのか容姿に触れた部分があったけどバスの話では無い。席を立ったのだから、見ているはずなのに。見えているものの記憶がはっきりしない。君はあやふやな部分を無意識に隠し、それをただの奇形だと思おうとしている。もう一度聞くがそれをジロジロ見ていたのは君だけなんだね?」
師匠は組んだ手を掲げた。
「いいかい。利き腕を出して。君は右だね。掌を下にして。その手の上に左の掌を下にしてかぶせて。 親指以外が重なるように。そうそう。左の中指が右の薬指に重なるくらいの感じ。左が気持ち下目かな。残りの指も長さが合わなくても重なるように。すると指は6本になるね」
これはやってみてほしい。
「親指が2本になり、左右対象になったわけだ。どんな感じ?」
不思議な感覚だ。落ち着くというか。安心するというか。普通に両手を合わせるよりも一体感がある。そのまま上下左右に動かすと特に感じる。
「これは人間が潜在意識のなかで望んでいる掌の形だよ。左右対象で、両脇の親指が均等な力で物を掴む。僕はこんな『親指が二本ある幽霊』を何度か見たことがある」
「あれは俺だけに見えていた霊だったと?」
「多分ね。 たまにいるんだよ。生前のそのままの姿でウロつく霊もいれば、より落ちつくように、不安定な自分を保とうとするように、両手とも利き腕になっていたり、左右対象の6本指になっていたり・・・本人も無意識の内に変形しているヤツが。」
師匠はそう言って擬似6本指で俺にアイアンクローを掛けてきた。不思議な話だった。そんな話は寡聞にして聞いたことがない。両手とも利き腕だとか・・・・怪談本の類はかなり読んだけどそういうことに触れている本にはお目にかかったことが無い。師匠のはったりなのか、それとも俺の知らない世界の道理なのか。いまは知りようもない。
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