転職はお早めに
以前、ケイさんという職場の先輩の話を書いた者だが、ちょっとやらかして休職してたそのケイさんが10月から職場復帰するらしいので、今のうちにケイさんとの話をいろいろ投下しようと思う。

ケイさんが休職する一月くらい前。夏のクソ暑い日のこと、俺は夜勤のケイさんに付き合わされて夜の巡回をしていた。

ケイさんに3階の見回りを命令された俺はひとつひとつ部屋を見て周り、異常がないのを確認すると、上にあがる為エレベーターを待っていた。

ウチの職場は、脱走癖のある患者や痴呆の患者が集められている3階のエレベーターには暗証番号式のロックが掛かっているんだが、これがなかなか面倒臭い。他の階に行く度に暗証番号を打ってエレベーターに乗らなきゃいけないし、打ってるあいだに止まっていたエレベーターが動き出して中々来ない…なんてことがよくある。階段もドアに鍵が掛かってるし、面倒なこと極まりない。

ただ、ケイさんいわく、このロックにはただ患者の脱走防止のためだけにあるわけではないらしい。なんでも痴呆がある人ってのは「そうゆうもの」を呼び寄せやすいらしく、つまりウチの病院の3階は幽霊だの何だのがめちゃめちゃいらっしゃってる場所なのだと。そして、「そうゆうもの」を引き連れた3階の患者が他の階に「そうゆうもの」を置いていかないように隔離しているんだと。

かなり嘘くさい話だし、俺自身その話聞いたときは鼻で笑った。でも、深夜にその3階でエレベーターを待っている身としては思い出すと結構怖かったりする。

だいたい、そんな話をしておきながら3階の巡回を命じるケイさんはやはり鬼畜だと思う。まあそんなわけで、俺はガクブルしながらエレベーターが降りてくんのを待っていた。7、6、5…だんだん下がってくる。

そんとき、4階でエレベーターが止まった。ケイさんが乗ってきたのかと思い意味もなく身構える。すると廊下の奥からキィー、キィーと車イスの音が聞こえてきた。暗くて見えないが、ああ誰かトイレでも行くのかな。と思った。

ちょうどそのとき、エレベーターのドアが開いた。ケイさんが出てくる、と思ったが出てこない。あれ、おかしい。なんで出てこないんだ。そう思いながら乗り込み、ケイさんがいる4階へ向かった。車イスの音はまだかすかに聞こえていたが、次第に聞こえなくなっていた。

4階につき、エレベーターを降りると、とたんに鋭い声が飛んで来た。

「バカ野郎!!」

声の主はもちろんケイさんだった。怒鳴られたのはもちろん俺。

「な、なんですか」
「テメェ、毎回毎回ざけんじゃねぇよカス。役立たずの疫病神が。」

眉間に5本ほどシワをたたえたケイさんに、暴言をはかれた揚句アゴを鷲づかまれた。痛みと驚きに悲鳴をあげると、

「飲め。」

と言われてペットボトルを口に突っ込まれた。中身は日本酒らしく、嫌なツンとしたにおいがした。

「ケイさん、俺、未成年なんですけど…」

つか、職場に、しかも夜勤中に酒ってどうよ。しかしケイさんはお構いなしに言った。

「お前、ヤられやすいっつったろ。面倒臭ぇの連れてきやがって。」

サーッと血の気が引いた。

「ま、まさか」 「気味悪くニタニタ笑いやがってよ。白目剥いてるわヨダレたらしてるわ口裂けてるわで。首ひっくり返ってやがるし。夢見のワリィ。」

つまり、気味悪くニタニタ笑う、白目剥いてヨダレたらして口裂けてる首ひっくり返った「何か」が俺についてきてたらしい。そして、「それ」をまたもケイさんが払ってくれた?らしい。

「お前、本当いい加減にしろ」

ケイさんは非常に不機嫌そうに頭をボリボリかきながらステーションに戻っていった。おそらく除霊の為に飲ませてくれたのであろう日本酒の残りは、ご丁寧に自分のポケットに再び忍ばせて。アル中め。

しかし、なにはともあれ俺はさりげないケイさんの優しさに感謝しながら、ケイさんに続いてステーションに入り、巡回の記事を書く為3階のカルテを手にとったそして、ずらりと並んだカルテのネームを見て気付いた。

3階には、車イスを使っている患者さんはいないことに。

痴呆はあっても、歩ける人しかいない

なら、

あ の 車 イ ス の 音 は ?

震える手でカルテを書きながら、俺は本気で転職を考えた。
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