見える筈が無い
大学2年の夏、僕はお盆のために帰郷しました。
駅に着くなり、蝉が耳を塞ぎたくなるほどの大音量で迎えてくれました。駅前から見える景色は以前と変わっていません。遠くに緑の山々が見え、その下に町が広がっています。
しかし、クソ暑い中いつまでもノスタルジーに浸っているわけにもいかないので、僕は実家に急ぎました。
玄関から
「ただいまぁ!」
と元気よく言ったのですが、
「おお」
「帰ってきたんか」
外の暑さと対照的に家族の反応は冷たいものでした。ともあれ、僕は実家で一泊しました。
翌日、僕と家族は、小学校以来の親友Iのおじいさんのお寺に向かいました。空は晴れとも曇りともつかない、という感じでした。
僕たちは入口でおじいさんに会い、10畳ほどの畳の部屋に案内されました。その後、家族とおじいさんは長話を始めてしまったので、僕はフラフラお寺の中を見て回りました。
小学生の時から何度もここにきていたので構造は結構詳しかったのですが、ゆっくり見て回るのは久しぶりだったので、新鮮に感じました。といっても、他のお寺と大差ないと思います。
いろいろ見ているうちに急にトイレに行きたくなり、ダッシュしました。トイレは家で済ませたばかりだったのですが。 。
僕はトイレで用を足していました。トイレなので当然狭く、白い壁にはひびが入っており、木の格子の入ったガラスのない小窓があるだけでした。
窓の外は知らないうちに曇って暗くなっていました。ここまでひどくなかったのに…天気が変わるのは早いなあと思いつつ、外を眺めていました。
用を足し終わったところで、雨が降ってきました。傘を差した参拝客らしき人たちがゆっくりと歩いていきます。かなりの大所帯です。3〜40人はいたでしょうか。しかし、お寺でそんな団体さんは見かけなかった気がしたのですが。
シトシトという雨の音の中、彼らの足音だけがザッザッといっていました。車などの音は聞こえませんでした。
やっぱり田舎だなと思いながら見ていると、その中の赤い傘がひとつ止まりました。傘の下の足がこちらに向きました。こちらがトイレからジロジロ見ていたことに、気づいたようでした。
とっても気まずくなり、僕は顔を引っ込め、トイレを出ました。トイレの外の空はやはり曇っていましたが、雨は降っていませんでした。
たった数秒で天気って変わるのか?などと首をかしげながら、僕は家族のもとに戻りました。
僕「さっき雨降ってたよね?」
父「何言ってるんだ?」
母「曇ってはきたみたいだけど」
僕「さっきトイレ入った時は雨降ってたよ?それに団体で来てる人もいたし」
「M(僕)くん。今日は団体で来る予定はないんだがの?」
そして、おじいさんはこう続けました。
「…トイレで見たんじゃな?」
僕「はい。そのお客さんの1人がこっち向いたんで、すぐ引っ込みましたけど」
「どんな人じゃった?」
僕「傘に隠れて分かりませんでした。でも足がこっち向いてたんで…」
「そうか」
それから僕たちはお墓に行き、お参りやら掃除やらを済ませ、またお寺に戻ってきました。その間、団体さんには会いませんでした。
「Mくん。ちょっと来てくれるかの?」
おじいさんに板張りの大広間につれていかれました。
「せっかく来たんじゃから、お土産を渡さねばの」
僕に透明な…正月にIがくれたビー玉のような御守りでできた数珠をくれました。
「しばらくは持ち歩きなさい」
僕はおじいさんにお礼を言って、部屋を出ようとしました。
…その時初めて気づきました。
- なぜ家族は雨のことを知らなかったのか。
- なぜおじいさんがいろいろ聞いてきたのか。
- なぜ御守りをくれたのか。
正月に僕と彼女は、このビー玉のお陰で命拾いしたことがあります。急いでトイレに向かいました。
ドアを開けると、トイレは真っ暗でした。板がきれいに打ちつけられ、小窓が完全に塞がれていたからです。
唖然として突っ立っていると、後ろにいつの間にかおじいさんが立っていました。
おじいさんはこちらを見てニコッと微笑みました。
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