牛の首
〜後編〜

「水晶で作った頭蓋骨や、加工された人間の頭蓋骨のこと知ってるかな?日本にも昔、人間の頭蓋骨を加工する人たちが居たんだ。牛ノ首衆と呼ばれる人たちで、最初は、牛の首を切り取り、神様に、お供えしてたらしい。けど、いつからか人間の首を切り、肉を取り去ってから漆を塗り、金箔を貼り付けるようになったんだ。牛ノ首衆は、自分達の加工した頭蓋骨を使い、色々な儀式を行うようになったみたいで、自分達の行う儀式によって、色々と不思議なことが出来ると信じていたみたいなんだ。例えば病気を治したり、天気を操ったり。また、人を呪い殺したり、病気にしたりといった、人に害を与える儀式もあったようだけど、そういった儀式を無闇に行わない掟があったらしい」

今日泊君の話を聞いていた私は、全く恐いと思いませんでした。しかし後から、それが大きな間違いだったと、思い知らされたのです・・・

「牛ノ首衆は、仏教に対して好意的だったらしい。特に座禅は、人々の心を清くすると言って、永平寺に協力的だったんだ。しだいに、念仏や仏教の儀式を行う、本願寺の真宗門徒達が勢力を強めてきて、永平寺は、段々と寂れていったらしい。真宗門徒達も、牛ノ首衆の儀式に興味を持っていて、本願寺の高層が牛ノ首衆と親睦を深める活動をしていたんだ。本願寺の儀式には、牛ノ首衆の影響を受けた儀式が、今でも残っているそうだよ。でも、外国からキリスト教が伝えられ、キリスト教が次第に力を付けてきたんだ。本願寺は、キリスト教徒を皆殺しにするため、キリスタン大名達に宣戦布告をしたんだよ。この戦争は、一向一揆と呼ばれる壮絶な戦いだったらしい。殺生を嫌う牛ノ首衆は、本願寺に反対し、一向一揆を終わらせようと、何度も真宗門徒達に交渉を持ちかけたそうだ。でも本願寺は、牛ノ首衆を煙たがり、一向一揆のさなか、牛ノ首衆を皆殺しにしてしまったんだ」

私は今日泊君の話を聞いていて、段々と寒気を感じていました。すぐに今日泊君の話を止めさせるべきでした・・・

「何とか生き延びた牛ノ首衆は、織田信長に身を寄せたんだ。信長は、牛ノ首衆の力を利用するため、本願寺に復讐するための協力を惜しまないと、生き残った牛ノ首衆達に約束したらしい。そして信長は、牛ノ首衆のため、大勢の生け贄や死体を用意してあげたそうだ。それからというもの牛ノ首衆達は、毎日、恐ろしい儀式を続けたんだ。その悲惨な光景を見た人達は、道徳的な話をし、牛ノ首衆達に儀式を中断するように説得したらしい。でも牛ノ首衆達は、仏法めいたことなど聞きたくもない。。どうしても、そんな話を俺たちに聞かせたければ、俺達が死んでから御経でも唱えやがれ、と言い捨て、儀式を中断しなかったそうだ。そして牛ノ首衆達は、信長に沢山の加工した頭蓋骨を献上したらしい。その頭蓋骨に宿る怨念は、凄まじく、信長に敵対する人々を次々に病気にさせたり呪い殺したそうだ。頭蓋骨の怨念は、使えば薄れていくため、牛ノ首衆達は、信長のために、たびたび呪いの頭蓋骨を作るようになったんだ」

私は今日泊君の話を聞いているうちに、後ろから誰かの視線を感じていました。あの時は、「気のせいだ」と自分にいいきかせていましたが、今は、あの時に感じた視線は、決して気のせいなんかじゃないことを知っています。

「呪いの頭蓋骨を持つ信長には、村正の怨念すら通用しなかったそうだ。村正は、凄まじい怨念が宿っており、妖刀と恐れられた日本刀なんだけど・・・。村正に興味を無くした信長は、家臣の秀吉に褒美として村正をくれてしまったそうだ。秀吉は、村正のせいで色々な怪奇現象に遭遇し、ビビッタ秀吉は、すぐに村正を手放したらしい。武田信玄や上杉謙信も、信長が呪いの頭蓋骨を使って呪い殺したのかもしれないな。信長は、茶会の時に、朝倉義景や浅井長政の首で作った、呪いの頭蓋骨を客人に見せびらかし、自慢することもあったんだ。それだけ信長は、呪いの頭蓋骨に絶対の自信を持っていたんだな。でも信長は、天下統一を果たそうとしていた矢先、牛ノ首衆の力を自分以外の人間に利用されることを恐れ、牛ノ首衆を一人残らず殺してしまったそうだ。しかし、それから間もなく信長は、家臣の明智光秀が謀反を起こし、殺されてしまったんだ。俺が、この話を聞き終わった時に、誰かが俺を見ている気がしてきたんだ。俺は、何となく誰かの視線を感じる、と親父に言ったら、親父が言ったんだよ。それは、牛ノ首衆の悲劇に関わった人達の、怨念だろう。この話を聞いた者は、多かれ少なかれ、あの人達の怨念に付きまとわれるんだ。だが、人々を慈しみ、仏法を心がければ、必ず御仏が怨念から守って下さる。俺には、その親父の言葉が、心に食い込んでしまったんだよ。それ以来、俺は、仏教関係の本を読むようになったし、なるべく人が喜んでくれるようなことをしようと、心がけるようになったんだ」

今日泊君が、そう言い終わった途端に、蝋燭の炎が消えたのです。私を含め、その場に居た人は、みんな驚き声を上げました。そして

「ビックリしたぁー」

と言いながら、私は、手探りで蛍光灯の明かりを付けました。ところが、私が床に座った途端に、蛍光灯の明かりが独りでに消えたのです。私達は、声にならない叫び声を上げていました。

首や手、足や胴体など、バラバラになった人間の体が・・・しかも、沢山のバラバラになっている人間の体が、私達の体に、まとわり付いてくるのです。私は、そのまま気を失ってしまいました。

私は今日泊君に揺り起こされ、目を覚ましました。今日泊君に私は、自分の見たバラバラの体について話したのですが、今日泊君は、

「何も見なかった」

と言います。でも今日泊君は、私の話を信じてくれました。泊君も、今まで何度も誰かの視線を感じたことがあったそうです。それに、私達が気絶した時、

「物凄い寒気がした」

と言いました。今日泊君は、他のみんなも揺り起こしていきましたが、みんな私と同じことを今日泊君に訴えます。

あの時から私は、常に誰かの視線を感じるようになりました。また眠る時など、目を閉じた状態の時に、あのバラバラの体について思い浮かべてしまうと、すぐにバラバラの体が私の体に、まとわりつくようになったのです。今日泊君を除く、あの場に居たみんなは、私と同じ現象に悩まされるようになりました。

そして、みんな今日泊君を避けるようになったのです。私も今日泊君を意識的に避けていたのですが、ある日、今日泊君から電話が・・・会話の中で今日泊君は、私に

「もし、よかったら、俺と付き合ってくれないか?」

と告白してきました。私は、とても今日泊君と付き合う気分になれず、言葉を選び、丁寧に断りましたが、恐らく、それが今日泊君との最後の会話になるのだろうと思います。もう二度と、今日泊君と会うことは、ないでしょう。

私は、この体験談を多くの人に知ってもらいたいと、昔から考えていました。しかし、それは、絶対的なタブーのように思えます。今も、その気持ちが、この書き込みにブレーキをかけ、私を躊躇わせているのでしょう。

私は、霊能者に除霊を頼んだことがあります。霊能者の人は、私を見るなり

「絶対に除霊をしたくない」

と言って断りましたが、私は、無理に頼み込んで除霊してもらうことになりました。霊能者の人は、しばらく除霊をしていたのですが、突然

「早く、ここから立ち去れ!!」

と叫び、私を突き飛ばすのです。私は、恐ろしくなり、すぐに逃げ出しました。その後、その霊能者は、発狂し、今も精神病院に入院しています。

半年ほどしてから私は、再び除霊をしてもらいたいと思いました。今度は、有名な退魔師に、お願いしましたが、退魔師は、険しい表情をしながら私を見つめています。しばらくしてから退魔師は、

「何とか、やってみます」

と言って、除霊を引き受けてくれました。退魔師の除霊は、何時間もかかり、退魔師の疲労が私にも伝わってきます。そして突然、退魔師が倒れ込んでしまいました。退魔師は、苦しそうにしながら

「早く、ここから立ち去れ」

と私に向かって叫ぶのです。私は、恐ろしくなり、その場から逃げ出しました。その後、その退魔師は、包丁で首を切り、自殺したそうです。

「何故、私を除霊してくれた霊能者は、発狂し、退魔師は、亡くなってしまったんだろう・・ ・。私に牛の首の怨念が憑いているのは、間違いないけど、私は、それなりに普通の生活をしているし、まだ、ちゃんと生きているのに・・・」

私は、時々そんなことを考えてしまうことが、多くなりました。もしかしたら、私の除霊をしてくれた霊能者と退魔師は、牛の首について、全ての真実を知ってしまったのでは、ないでしょうか?今日泊君が話した牛の首の内容は、ほんの少しだけ、牛の首の秘密について、伝えているだけなのかもしれません。だから、私は、まだ生きているのに、私の除霊をしてくれた霊能者は、発狂し、退魔師は、亡くなったのかも・・・

それでは、牛の首の怨念を消し去ることは、絶対に不可能なのでしょうか?確か、今日泊君の話では、呪いの頭蓋骨を利用し続けると、頭蓋骨の怨念が薄れていくはずでした。もし、それが本当だとしたら、多くの人が牛の首の話を知り、牛の首の怨念を多かれ少なかれ引き受けてくれると、しだいに牛の首の怨念が消えていくのでは、ないでしょうか?そう考えた私は、牛の首について、私の知っている全てを、ここに書き込みしました。早く牛の首の怨念が、消え去りますように!
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