見つめているのは

十年と少し前か、俺は家から駅4つばかり離れた高校に通っていた。当時は祖父の家もその近くにあったが、祖父が亡くなってからは、駅まで行くことはあっても、学校の側までは行っていなかった。

先日、その祖父の法事の際に、俺とは別の学校だが、やはり付近の高校に通っている従妹に会い、彼女からこんな話を聞いた。

新しく出来たある販売店の裏口に、出るらしい。いわく、バイトをしている先輩が見た、誰某の兄弟が見た、etc.

懐かしいなぁと思った。俺が行っていた学校でも、そんな噂があった。あったどころか、俺はそういう場所に行ったことさえあった。

法事の後の食事会が捌け、彼女の兄で俺の従弟が運転する車の中、俺は彼女にその時の話をすることになった。

俺は美術部に入っていて、周りは女ばかりだった。だからと言って、色っぽい話などこれっぽっちもない。俺や数少ない男子部員は、女連中にいいように使われていた。

その女子の中に、リナさんと言う2つ上の先輩がいた。美人と言う程では無いが、ちょっと雰囲気のある人で、押しの強い先輩たちの中では、一歩引いている感じがした。

文化祭があって、翌日は後片付けで学校は半日だった。用が済んで帰ろうとする頃、1コ上の部長に声をかけられた。

「夕方、ヒマ?」

はぁ、とはっきりしない返事をしたら、人数に入れられてしまった。打ち上げを兼ねて、噂の心霊スポットに行こうと言う。そんな打ち上げがあるか、と思ったが、俺に拒否権はない。

居酒屋で打ち上げをして、巡回中の教師に捕まる連中が多発していた。だからある意味、美術部は健全だったのかも知れない。全員ではなかったが、家が学校に近い7、8人が集まった。行き先は、県道沿いの工場だと言う。

この辺は車の車体や部品の工場が多い所で、そこも工場だらけだった。学校からバスで十分弱の工場の、3つある出入り口の内の西側の1つ。

夜では無く、日暮れ時に男の霊が出るらしい。作業着姿の中年男性で、門の内側を少し入った所に立って、建物の方をじいっと見ているのだと言う。もしその時間に建物から出て来ると、男と目が合う事になり、目が合うと原因不明の高熱が出るとか、追い掛けられると噂らしい。

実際、工場の門と、見えているシャッターは下ろされている。昼間はトラックが出入りしているが、夕方になると早々に閉まるそうだ。

もっとも、この頃の日没時間は工場が終業する時間とどっこいな訳で、俺には真偽の程は判らなかった。

8人ばかりがぞろぞろ心霊スポットに向かう、えらく間抜けな光景。俺は半信半疑だが、そんなモンに追われたら嫌だな、なんて考えながらリナさんの方を見た。

そう、リナさんもいたのだ。リナさんも部長に押し切られたクチだろう。3年は文化祭後で引退だから、最後のイベントだと思っていたのかも知れないが。

正直に言うと、俺はリナさんにちょっと憧れていた。当時俺がハマっていたアニメの話なんかをしても、知らないなりに

「これはこういうことなのよ」

なんて知恵を付けてくれたりした。

無知な俺は彼女がオカルトが好きなんだと思っていたが、今考えるとちょっと違ったのかも知れない。こんな地味なリナさんの彼氏が、ヤンキーで知られたS先輩でなければ、俺ももう少し積極的に彼女と関われたかも知れない。だが、リナさんにとっての俺は、後輩の一人でしかなかっただろう。

陽が傾き始めて、辺りの空気が黄色っぽくなっていた。みんなは思い思いに門の中を覗いていたが、男の姿なんかなかった。

誰とも無く

「もう帰ろう」

と言い始め、ホッとした俺もその尻馬に乗った。

工場沿いの丁字路を県道側へ戻り始めてふと見ると、リナさんだけが引き返さず、まだ工場の方を見ていた。

「先輩、何か見えるんスか?」

彼女の所まで言ってこっそり聞くと、リナさんは首を振った。

「あれは本当のヒトだよね?」

ちらりと目配せした彼女の視線の先を追うと、工場の敷地内の駐車スペースの外れの木の下に、事務服姿の女がいた。痩せて顔色の悪い女は、一心に何かを見つめている。薄暗くなってきたとは言え、俺にもリナさんと全く同じ物が見えている。幽霊では無いだろう。ただ、女が見ている物を考えた時、俺は少し寒くなった。女は、男の霊が立つと言う辺りを見ている。

「帰りましょう。」

俺はリナさんを促した。彼女は

「うん」

と応えたが、歩きながら何度か振り返っていた様だった。

S先輩がバイクの事故で亡くなったと聞いたのは、年が明けてからだった。3年はほとんど学校に来なくなっていた時期で、その頃には俺も、リナさんとは疎遠になっていた。

夕方、横道から出てきた先輩のバイクがトラックに突っ込んで、ほとんど即死だったらしい。現場がどこか聞いて、俺は嫌な気持ちになった。

それは俺達が工場の裏へ向かった丁字路が、県道に抜けている部分だった。

俺はリナさんが先輩に何か話したのかも知れないと思ったが、確認は出来無かった。卒業式で最後に姿を見るまで、ふたつきばかりの間に、何回か廊下ですれ違ったが、俺は小さく頭を下げるのが精一杯だった。

リナさんは関西の大学に進んだ筈だが、今どうしているのかも知らない。冷たいようだが、確かめることが少し怖かった。

車は駅に向かい、県道に出た。話を聞き終わりしゅんとしていた従妹は、不意に元気な声を上げた。

「ほら、あれ!あそこの搬入口に出るんだって!」

従妹の指し示す方角には、真新しい、大きな商業ビルが立っていた。

俺は軽い目眩がした。

そこは以前、部品工場があった場所だ。

ずっと黙っていた、俺とさして年の違わない兄の方が言った。

「俺の学校じゃ、女の霊が何かを睨んでるって話だったよ。」

俺と従妹は、ミラー越しに兄の顔を見た。
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