マンションの住人

最近、窓やドア、壁が妙に鳴る事に悩んでいた。

無論、軋みなどではなく、あからさまに人の手でやったような音だ。最初は餓鬼の悪戯と考えていたのだが、どうも違うらしい。というのも昨晩、玄関のドアを叩かれた時(これで10回は越える)、急ぎ足で逃げる人影を見たのだが、それがエプロンを付けていたのだ。俺は追わなかった。

気味が悪いのは、俺が住んでいるのが「マンション」だという事だ。仮に一戸建てなら、「窓を叩く」というような悪戯も可能だろうが、「マンション」の場合は違う。「ドア」や「壁」を叩く事は出来ても、言ってみれば「個人の敷地内」であるベランダの中、そしてその窓。これを叩くということは、ベランダを乗り越えて俺の部屋まで来ているという事になる。

ベランダとベランダの間には、火災などの時にしか壊してはいけない壁がある。それは壊されていないのだ。つまり、手すりを乗り越えている・・・?

最近では考えるだけ深い闇には嵌っていく感覚に陥っていた。なるべく遅くまで友人を呼んで、事情を説明して、の生活だった。付け加えておくが、そこは15階だ。

運の悪い日が来てしまった。頼みの綱の友人達との日程が、一人も合わなくなってしまったのだ。あの音に耐えながら、一人で長い夜を過ごさねばならない。それだけは、もう勘弁だ。

テレビをつけながら居ればいい?音楽を聴きながら居ればいい?

仮に「音」だけなら俺もそうしていただろう。問題は「影」なのだ。ベランダの「窓」を横切る影。トイレの「小窓」に映る影。

そしてそれは、明らかな「生身の人間」の仕業である事。考えられるそれらの人物は、この「マンション」の住人以外考えられないという事。これらが決定的に俺を追い詰めていた。今日は、一日外でやり過ごそう。

22時36分。最低限の荷物をリュック・サックに詰め込み、部屋のカーテンを閉め、電気を消す。ゆっくりと靴を履き、鍵を握り締める。出来るだけ、前を見ないように、そっとドアを開ける。静かに鍵を閉める。

さあ、行こう。コンビニでもいい。とにかく、朝まで過ごすんだ。俺はそこで初めて、前を向いた。

その階の住人達は、ほぼ全員、薄暗い廊下の外にズラリと並んでいて、微量に体を揺らしながら、皆、俺を見つめていた。限りなく無機質に。エレベーターまでの道のりが、暗黒の底へと続いているようで、行きたくなかった。それでも何とか、エレベーターの方へ歩いて行く。、すれ違う時は、完全に作った会釈をしながら。

エレベーターのボタンを押す。デジタルの数字がパネルに表示される。その数字が増えていく。

コン。コン。コン。コン。コン。

何かを叩く音がした。見なければいい物を、つい覗き込んでしまった。住人はいつの間にか俺の部屋の前に大勢集まっていて、ドアを叩き続けていた。

あと一秒、待てなかった俺は、自分でも笑えるぐらいの悲鳴をあげながら、「マンション」の吹き抜けをよじ登り、ジャンプした。

階下に見える装飾用のクリスマス・ツリーが、綺麗だった。
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