窓の外の蛙

御晩です。昨日、ナナシと言う友人の話を書いた者です。今日も、ナナシについて、少し話をしたいと思います。

あの悪夢のようなアパートでの事件から数カ月が経ち、僕とナナシはまたお互いに話をするようになっていた。初めのほうこそ、多少ギクシャクしたが、結局ナナシに不思議な力があろうがなかろうが、あの女の人がどうであろうが、ナナシはナナシで、僕の友達だということに変わりはない。

僕はあの日のことは記憶の底に沈め、ナナシと普通に話すようになった。ナナシも、今までと同じようにヘラヘラ笑って、話掛けてきて、僕らはすっかり以前のような関係に戻っていた。

そんな、矢先のこと。そろそろマフラーやらを押し入から出さないとな、なんて時期の授業中。それは、起きた。

教室では、窓際の最前列に目の悪かった僕と委員長の女の子、その後ろにナナシと、アキヤマさんと言う女の子が座っていた。

その頃、その窓際席の僕ら4人は授業中に手紙を回すのをひそかな楽しみにしていた。つまらない授業の愚痴や、先生の悪口を小さいメモに書いて先生が見ていない隙にサッと回す。もしバレても、委員長がごまかして僕らが口裏を合わせることになっていたし、端とはいえ、前列で手紙を回すのは、ちょっとしたスリルだった。

そしてそれは、たしか3時限目あたりの国語の授業中。どこの学校にも一人はいるであろうバーコードハゲの教師が担当で、今にして思えば大変失礼だが、僕らは彼の髪型をネタに手紙を回していた。

くだらないことをしていると時間が過ぎるのは早く、すでに何枚か紙が回され、授業も半ばを過ぎた。

そのとき、だった。

教科書に隠しながら手紙を書いていた僕は、ドン、と何かに背中を突かれた。どう考えてもそれは後ろの席のナナシで、

「まだ書いてるのに、催促かよ」

と、僕は少しムッとしながら振り返った。

するとそこには、眉間に皺を寄せた凄まじい形相で、僕に何かを向けているナナシがいた。

手には開いたノートがあり、真ん中にデカデカとマジックで



窓」

と書いてあった。

思わず窓を見ると、



「ひっ…」



人と、目が合った。



蛙のような体制で落下してきたその人は、顔だけをこちらに向けていた。恐怖か苦痛か屈辱かわからない、むしろ全て入り交じったような悶絶の表情を一瞬見せて、その人は消えた。

「うわぁああっ!!!」 僕ではない誰かが叫んだ。叫んだのとほぼ同時に、ドシン、と音が響く。しばらくフリーズしていた教師やクラスメート達も、2,3秒して騒ぎ立て、窓に駆け寄り出す。

僕はその様子を茫然と見ながら、フラッシュバックを感じていた。

まただ。またナナシが、人の死を言い当てた。僕は震えながら、ゆっくりとナナシを見た。ナナシは、震えもせず騒ぎもせず、窓の前に立っていた。遠い目で窓を見ている。僕は、ナナシに駆け寄った。

「ナナシ、あれ…」

縋るように駆け寄った僕に、ナナシは振り返ることもせず言った。

「お前、なにか見た?」

なにか。

そんなの解りきっているというのに、白々しく尋ねてくるナナシに僕は無性に腹がたった。

「当たり前だろ!!お前が窓を見ろって言ったんじゃないか!!おかげで僕は目が合ったんだ!!見たんだぞ!!あの人が堕ちる一瞬を!!!」

僕は、あの死に行く人と目を合わせてしまったのだ。悲痛と苦痛に染まった、間もなく死ぬであろう見知らぬ人と、目が合った。一生トラウマになりそうな、表情を見たのだ。

「なら、いよいよオカルトだな。」

ナナシは言った。

僕にはその言葉の意味がわからなかった。わかりたくもなかった。だが、

「見てみなさいよ、下。」

さっきまで黙っていたアキヤマさんが、僕に言った。

僕は恐る恐る、人を掻き分けて下を見た。そこには、こちらを向いて目を見開き、苦悶の表情を浮かべながら体を不思議な方向に曲げた死人がいた。ドス黒い血が彼女の白いブラウスを赤茶に染めていて、僕は思わず目を反らした。

そして、気付いた。

僕は、彼女と目が合ったんだ。それは確かだ。あの表情は、夢じゃない。蛙のような、這うような姿勢で彼女は落ちて来た。そして、僕を見ていた。

…なら、何故、彼女は「こちらを向いて」死んでいるのか。 俯せに落ちたはずの人間が、何故仰向けに死んでいるのか。空からたたき付けられた人間が、まさか寝返りなどできるはずもない。まして、あの数秒間で、誰かが動かしたはずもない。

否、それよりも。どんな飛び降り方をすれば、「蛙のような体制」に、落下することができるのか。否、どんな飛び降り方をすれば、「蛙のような体制で、こちらを向いて落下できる」のか。

その疑問が浮かんだとき、震えは一層強まり、首筋に冷たい何かを感じた。

不意に、ナナシが口を開く。

「死んだ先に何がある。救いなんて、あるはずないのに。闇から逃れても、闇しかないんだ」

その言葉には恐ろしいくらい感情が篭っていなかった。アパートのときよりも、数倍、僕は、ナナシを怖いと感じた。赤い海に浮かびながら、僕らを見上げる曲体の死人より、ナナシの言葉が怖かった。



その後、席替えがあり、僕が窓際になることは二度となかった。
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