多生の縁
2007年6月6日(水)
今日もやっぱり、一緒に下校することになりました。
5月28日・月曜日に知り合った私たちは、31日・木曜日のトラブルを挟んで本日6月6日・水曜日まで帰途を共にしました。これはいつまで続くのでしょう。本当に不可思議です。彼女の気持ち、何を考えての行動なのか
吾妻文子はそこで一旦筆を止めた。その理由は二つ。
一つ。ドアの向こうで父隊長のラッパが鳴ったから。
二つ。日記の内容が我ながら陰気であると気付いたから。
「フミ、おおい。眠ってはいないね?」
「お父さん、ノック!」
「お父さんはノックではありません」
ぶーたれた顔が覗いた。
「7時21分頃ノックをした」
「うそお」
「現在25分。7時のね」
父、良太郎は決して文子の部屋へ入らなかった。文子が13歳を迎えてから、それは吾妻家の約束事へ加わった。良太郎は半開きのドアからこんにちはをしている状態だ。
机の――文子の定位置――からドアまでの距離は、妙な緊張があるのではないかと文子は常日頃から感じていた。だから、良太郎が「やあ」とやって来たところで文子は「ぎゃあ」なのである。シャイニングなのである。
「フミ、早く降りてこい。ごはん冷めちまうから」
「うん、片付けてから行く」
ドアが閉まる。足音が跳ね回り、やがて消えた。
文子は行き過ぎた文章に消しゴムをかけた。日記を本棚へ置く。しかし、ノート一冊分の空きにも関わらず机上はごみためのままだった。ため息。つられるようにして腹が鳴った。
5月28日のことである。その日は一日じゅう酷い雨だった。だからかもしれない。文子が「仮面登校」なるを実行したのは。
文子の通う高校から歓楽街へと繰り出すには、普通電車で二駅を車窓に追い越す。所要時間はおよそ15分。近いのかもしれないが、文子は遠いと思った。いや、億劫だと思った。一時間に一本あるかないかの田舎の駅だ。何十分、あるいは何時間と待ってたったの15分。それならば別の交通をあてにする。何故、遠いから。
平日、月曜日、田舎。三強揃い踏みである。時刻表どおりの到着。車内に人影は皆無と言っていい。文子はゲームセンター「ダッシュ」を目指し、電車へと乗り込んだ。入り口にあったガムを避ける。幸先がいい。
ゲームセンター「ダッシュ」とは、取阜(とるおか)県内にのみ存在する施設である。淀市、阿智湖町、二不平市、金沢町、そして目指す道野市の計五件。
道野駅へ降り立った文子はさっそく、暗記した地図のとおりに道を行く。
ゲームセンター。不貞腐れた学生の溜まり場、代名詞、よろしくない環境。文子は堕落の道を突き進んでいるかのように見える。
そう実際、何でもないくせに学校を休むのだから崩れかかっているのは事実である。でもどうしてゲームセンターへ行くのだろう。しかもこんなマイナーな場所へ。カラオケなり、映画なり、遊ぶことはできる。文子がその魅力的な娯楽を退けて、触ったこともないゲームに関心を持ったのにはそれなりの理由があった。
「ダッシュ」みちの店には他の施設にはない秘密がある。どこにもない、秘密だ。入り口を入ってすぐ右にユーホーキャッチャーが置かれている。景品はちょっと流行おくれのぬいぐるみだったり、色々。外見だってごく一般的で、白とピンクその他もろもろを使ったとにかく派手な色合い。「ダッシュ」のユーホーキャッチャーの異様は、電飾が凄いとかそんなことじゃない。祟られているから凄いのだ。
「……ゲームセンタ、ダッシュ。ここ、たぶん」
店内は予想していたよりも健全な雰囲気があった。文子はほっとした。明るい照明に少しだけ勇気を貰う。
「いらっしゃいませ」と書かれた赤い色のカーペットを踏むと、のろく自動ドアが開いた。
* *
見慣れない子がいる。それはとても目立つ少女だった。薄い色の肌。卵形の整った輪郭。切れ長の目は、濡れそぼってきれいだ。光を湛えている。黒い髪は腰のあたりまであって、手入れが行き届いているのか、艶やか。淡いみどり、太めのカチューシャがワンポイント。右腕からぶら下がっているのは、旅行帰りかのような大げさな鞄。服装は白いシャツに、ふわりとしたグレーのスカートだった。似合っている。
しかしながら、この組み合わせには微妙な判定のローファーが気に掛かる。そうだ。話しかけてやれ。
「ねえ、」
* *
この店のユーホーキャッチャーにまつわる気味の悪い話。私は今、確かめようとしている。祟りの概要――迫力に欠ける言い方だ――月曜日の、このユーホーキャッチャーはただで動く。三回までは。それ以上ただで続けると呪われるというのだ。けちなもんである。
色々の情報を照らし合わせた結果、その三回というのは一人あたりのことらしい。まあ、そうでなければ今頃酷い状況になっていただろう。何千という人が使った物だ。一人ごとにカウンタがゼロにならなければ、繰上げ当選者続出である。
肝心要は呪いの具体例だ。それが、なんと、まあ、ううん。曖昧。ユーホーキャッチャーの中に誤って入り込んで死んだ幼児に別世界へ連れて行かれてねんねんころりだとか、このユーホーキャッチャーの前でふられた女の生霊が彼を待ち構えているとか、設置の際事故死した係員の怨念が軟派な子供を地獄の業火でアーチーチーアチー燃えてるんだろうか。
噂は噂。確たる証拠がないほどおもしろい。多くへ広まる。だけど私は面白くないのだ。ぜひ暴いてやりたい。いや、乱暴をする気はない。ただ店側の客寄せならばそれでいい。黙っていよう。だがもし、噂が本当で、本当の祟りがあるとするなら。怪奇研究会の私は黙っていない。
今まさに、二回目を終えた。機械の前に立ち、スタートボタンを押しただけで一回目は始まった。いやはやこれが細工なら、凝った仕掛けである。
一回目、成功。誕生日の付いている熊のぬいぐるみが引っかかった。ゲームには疎いが、ユーホーキャッチャーは訳あって得意なのだ。
二回目、成功。同じく熊のぬいぐるみ、白。さて。
寒気を感じるのはきっと気のせいだ。指が勝手に動くのも気のせいだ。私がここにいるのも気のせいだ。気のせいなんだ。だって私はもう止めようと思っていた。怖気づいて、怖くなって、今度、みんなと一緒に、止める。何で!止まってよ!
プラスチックの向こう、同い年くらいの子がこちらへやって来るのが見える。あの子は私を見ている。コギャルっていうのかな。色の黒い、金髪で、いかにもっていういでたちだ。化粧が落ち着いていてよかった。可愛い顔をしているから。塗り潰しちゃ勿体無い。彼女もきっとそれを知っているんだろう。
はっきりと、その子と目が合った。そのとき、私のこわばりが解けた。
三回目、成功。ただれた首。
* *
「きゃ……!」
文子は絶叫を腹の底へ押し込めた。冷静な判断だ。人のまばらなこととはいえ、大騒ぎをしては厄介になる。
「しっ。大丈夫、大丈夫……」
金髪の少女が文子の背後に居た。ぴたりと密着したところから温かみが伝わってくる。気持ちが静まったのは、彼女が気付いてくれたからだろうか。大丈夫。文子はその言葉を繰り返した。
少女の手が、文子の甲に置かれる。かさついた感触だった。文子は少し意外に思う。だがそんな悠長な考えも、ケースに目をやった途端に吹き飛んだ。首はまだある。
「う……うう」
インターネット上で飽きるくらいに見たグロテスクな写真とは全然違う。
「当たり前だ!」
と頭の片隅で注意される。そうだ。こっちは生……色々な意味合いで……。文子はまた唸る。後ろで、息を吸う気配がした。少女が口を開く。
「ねえアンタさ、焼肉好き?」
「アタシはユッケが好きなのよん。この近所にある焼肉屋さんがね〜、おいしいんだぁ。あ、ねえ行く? これから行こーよぉ」
駄目だ。
文子は絶望した。これは、新手の、かつあげだ!
前門のユッケ後門のギャルである。恐らく、いや確実にこのギャルには見えていないのだろう。こうして手を握っているのは味方だと示しているのではなく、ただ獲物を逃すまいとのことなのだ。ああ、なんて大馬鹿だ私は!大体幽霊なんて見える人が居るのかこの世には!幽霊って一体全体なんなんだ!
文子は自分の嗜好をまっさらにしてしまう呪文を唱えた。ギャルの言葉が分からないとはこういうことなのである。そして、目を開ける。
「……あなたって」
「じゃんじゃじゃ〜ん!」
勢い良く振り向いた文子に、少女は驚くどころか「大成功」といった表情を見せた。少女は指差して
「ほれ、あっち」
と言った。
「あれ……えぇ?」
あの生首が無くなっている。潰れたトマトを貼り付けたような面がどこへも見当たらない。確かに先ほどまで、銀色のアームが掴んでいた。しかしアームはスカの状態で停止している。その下の、ぬいぐるみの山に埋まっているようにはとても思えない。
「大丈夫でしょ? あのおばさん居なくなったからへーキよん」
――おばさん?
少女は顔に掛かった髪をかきあげて笑う。そして、文子の耳元で囁いた。そう例えば、幼い子が将来の憧れを、おもはゆく呟くように。
「なまくび」
少女の笑顔は明朗だった。
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