心に巣食う鬼

僕には産まれた時から父がおらず、母に育てられてきた。あまり話したがらないが、母は、父は病死したと言っていた。それだからか、母方の祖父はしょっちゅう遊びに来てくれて、僕にとって祖父が父親代わりだった。しかし、母からも祖父からも、父の写真を見せてもらったことはなかった。

そして、東京の大学でU(仮名)と知り合い、以来4年に渡って交際を続けてきた。

6月の終わり頃、僕はUの実家にそろそろ挨拶に行きたいと言った。Uは今度実家に連絡すると言ってくれた。翌日にはUからOKの返事をもらい、週末に2人で実家に出向くことになった。しかし、Uは何故かあまり乗り気ではなかった。

その日は雨だった。駅からタクシーで30分程で、Uの実家に着いた。とても大きく、いかにもといった感じの日本家屋だった。建てられてから軽く100年は経っているだろう。庭には大きな松と紅葉の木があり、塀から高く突き出していた。また、この家は他の家と離れており、小高い丘の上にあった。しかし、周りはちょっとした林になっていて、丘の下を見渡せる訳ではなかった。

入口にはUのおじいさんがいた。待ちきれなくて出てきたのだろうとUは笑っていた。そしておじいさんはこちらに気づくと、にっこり微笑んだ。しかし、すぐに笑顔が凍り、とても驚いたような表情になった。

おじいさんは何も言わず、ただ僕の顔を凝視していた。どうやら僕を見て驚いたらしい。僕は早速何かやらかしてしまったのかと焦ってしまったが、すぐおじいさんは気をとりなおしたようにまた笑顔になり、僕たちを客間に案内してくれた。

しかし、僕にはおじいさんの顔はまだ引きつっているように見えた。客間に着くと、僕はすぐにおじいさんに、Uと結婚を前提にお付き合いしていると挨拶した。しかしおじいさんは腕を組み、さっきのような驚いた表情ではなく、今度は難しい顔をして黙ってしまった。何か考え込んでいるようだった。

そこに、外から車の音がした。Uは

「お母さんとお父さんが帰ってきた」

と言った。

そして間もなく玄関から話し声が聞こえ、客間にUのお父さんとお母さんが姿を現わした。予想はしていたが、やはり2人は僕を見るなりすぐに信じられないといった表情になり、その場に凍りついてしまった。Uは何が何だかさっぱり分からないという顔をしており、この状況に戸惑っていた。僕も同じだった。

その時おじいさんが立ち上がり

「ちょっと待っていてくれ」

と言い、Uの両親を連れてどこかへ行ってしまった。

Uは僕にごめんなさい、と謝っていた。

しばらくしておじいさんだけが戻ってきて「今日はもう遅いから泊まって行きなさい」とだけ言い、また去っていった。夕食の時はおじいさんも両親も、先程とはうってかわって僕にいろいろと話しかけてきてくれた。しかし、やはりどこかぎこちない感じがした。むりやり話をしているような、何かを隠しているような・・・そんなふうに見えた。

風呂を済ませ、僕はUにこの家のことをいろいろ聞いてみた。しかし、Uは返事らしい返事をしてくれず、枕を抱えて俯いていた。何かを怖がっているようだった。

僕は

「どうしたの?」

と尋ねたが、Uは寝よう、とだけ言ってさっさと寝てしまった。

明らかに様子がおかしかったが、夜も遅かったので僕もとりあえず電気を消して床についた。

その時だった。

バンッ!ガスッ!ドスッ!・・・ガンガンガン!・・・・・・ どこからかものすごい音が響いてきた。

ガンガンガンガン!!・・・ドカッ!ドン!・・・

めちゃくちゃに何かを叩きつける音・・・僕は夢の怖さに似たような、訳の分からない気持ちに襲われた。Uが、僕の手を痛いくらいに握りしめてくる。

ガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガン!!!!!

降りしきる雨の中、正体の分からない、狂気に満ちた音が轟く。

1時間くらい続いただろうか・・・正確な時間など分からない。

ドンッ!・・・ガンガンガン!・・・ガン、カン・・・

不規則なこの音は、始まった時と同じく、突然止んだ。いきなり訪れた静寂に、僕はすぐに安堵することはできなかった。心臓の鼓動で自分の存在を、その得体の知れない何かに気取られるような気がしたからだ。しかしこれ以降、さっきの凄まじい音が聞こえることはなく、安心したからか、僕はすぐに眠りに落ちていった。

翌朝、障子越しに差し込む日の光で目が覚めた。昨夜のあのできごとが現実なのか夢なのか、区別がつかないような気がした。

僕はUに昨日のことについて聞いてみた。Uによると、これはときどき起こることらしかった。しかし決まった日に起こるようなものではなく、その時間もまちまちなのだという。そして、かつてUがおじいさんに聞いた時には、

「鬼が暴れている」

と言われたそうだ。

Uが乗り気でなかったのは、この家でいつ昨日のようなことが起こるか分からないからだったらしい。

昼過ぎ、また空が曇ってきた。Uの両親は病院に行くらしく、30分程前に車に乗って出かけていた。本当は2人にも居てもらいたかったが、とりあえず僕はおじいさんに改めて真剣に付き合っていると挨拶した。

・・・しかし、返ってきた答えは

「賛成しかねる」

だった。

すかさずUが

「なんで!?」

と切り返すが、おじいさんは答えなかった。

「・・・昨日S(僕の名前)見て驚いてたのと関係あるんじゃないの!?」

おじいさんは困った顔をしながら僕たちを見ていた。Uは怒ったようにおじいさんを問い詰める。 しばらくして、おじいさんが口を開いた。おじいさんによると、僕はある嫌な過去を思い出させるのだという。

Uのお母さんは小さい頃、Uのおばあさんに虐待を受けていて、そのことが明るみに出ると、おばあさんはすぐに自殺してしまったらしい。おばあさんは気を病んでいて、病院通いだったらしい。このことはお母さんの心に大きな傷を残した。

時が経ち、お母さんは1人の男と付き合い始めた。しかしお母さんはすぐにここに逃げてきた。この男は粗暴な奴で、すぐにお母さんに暴力を振るったらしい。慢性的に続く暴力に耐えられなくなったらしい。そして、後にお母さんは今のお父さんと知り合い、Uが産まれた。

ここまで聞いて、Uはとても驚いていたようだが、すぐに

「それとSとどんな関係があるの?」

と聞いた。おじいさんによると、僕の顔が、かつてお母さんに暴力を振るったその男にそっくりらしい。Uは何か言いかけたが、おじいさんは

「お父さんとお母さんの意見を聞こう」

と言い、また黙り込んでしまった。

嫌な沈黙が続く。

・・・しばらくして、今度は僕が口を開いた。朝から感じていた疑問をぶつけてみた。

「昨日、何かを叩きつけるようなすごい音が聞こえたんですが・・・?」

おじいさんは腕を組んで黙ったままだった。

「鬼がいる、とか」

おじいさんはしばらく黙っていたが、口を開いた。

「たしかに・・・ここでは鬼がたまに暴れる。部屋に閉じ込めておる。台所の隣の廊下の部屋じゃ。近づいてはならん」

Uはお母さんの過去については全く知らず、「鬼」がいるらしいその部屋に入ったことはなかった。

夜になり、雨が降り出した。Uの両親は帰って来ず、夕食は3人だけだった。昨日と違い、おじいさんは僕に話しかけることはなく終始無言で、とても気まずい時間だった。風呂を済ませ、僕は寝室に行った。昨日のこともあり、Uは不安で仕方ないというような顔をしていたし、僕もそうだっただろう。

電気を消そうとする僕の手が震えていた。それでもなんとか電気を消した。昨日のような轟音はなかった。いつ来るか分からないという恐怖と長い間戦っていたが、いつの間にか眠ってしまった。

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