寝室のドア

今から2年前、私はある賃貸マンションに引越しをした。その部屋は、都心で南向きの1LDK・バストイレ別々・オートロック付きで家賃が月12・5万という破格の安さだった。建物事体もまだ新しく、部屋は14階にあり、寝室の窓からは東京タワーが見えた。

引っ越した日の翌日の朝目が覚めると、昨日確かに閉めたはずの寝室のドアが少しだけ開いていた。全開という空き方ではなく、ちょうど誰かがガチャッとドアを開けてそのまま行ってしまった時のような中途半端な開き方だった。私は「昨日閉めたよな?」と怪訝に思ったが特に気にも留めずそのまま部屋を後にした。

その次の日も夜明け前、ふと目が覚めるとまた寝室のドアは開いていた。昨日のように中途半端に。その翌日も翌々日も、目が覚めると眠る前確かに閉めたはずの寝室のドアは引っ越してきた日と同じように、少しだけ中途半端に開いているのであった。

新しい部屋に引っ越してきてから半年が過ぎ、季節は夏を迎えた。私はこの部屋に関するいくつかのことに気がつきはじめていた。まず私は基本的に家にいるのが好きで自分の部屋がいちばん落ち着く、というタイプだったのだがこの部屋にいると、なぜか精神が張り詰めたように緊張しとても落ち着くどころではないのだ。それから一人暮らしなのに、こうしてPCを打っている時読書している時電話をかけている時、ふと気がつくと視線のようなものを感じてハッとすることが頻繁にあった。相変わらず寝室のドアは、開いている。ドアが開くのは別に夜に限らず休日などで昼間寝てるときでもふと目を覚ますとドアはやっぱり中途半端に開いているのだった。本来なら家に戻ると安心するはずなのに、今では外出すると家にいるときの監視するような視線や精神的緊張から開放されホッと一息つく日々だった。

そう、それはまさに「あの部屋」から「解放」されるという感覚だった。閉めても閉めてもいつの間にか開いているドア自分の気のせいかもしれないが、たしかに感じる監視するような視線。精神的緊張を強いられ私は体調を崩し、寝室のベッドで寝付いていることが多くなった。奇妙なことに私以外誰もいないはずの部屋に誰かがいる気配が濃密に漂い始めたのはこの頃だった。

体調が優れず気分も欝気味の私を、ある日友人が見舞いに訪れた。友人の来訪に久しぶりに私の気分も明るくなりその日はリビングで友人と二人夜更けまで飲み明かした。気がつくと2人とも眠ってしまっらしい。先に目が覚めた友人が

「ねえあれ・・・」

と寝室の方を指差した。見ると、ドアがいつものように少しだけ開いていた。もう慣れっこになった私は驚かなかったが友人は

「たてつけが悪くて最初から閉まらないんならまだしも一度完全に閉めたはずのドアがまた開いちゃうなんておかしいよ。」

と真剣に訝しく思う様子。

「それだけじゃないの」

彼女は続けた。

「怒らないでほしいんだけど、この部屋さっきからなんか変なの。誰かにジーっと見られているみたいな・・・・・・この部屋にいるのは私達だけなのに・・・気味悪い。この部屋にいたら具合が悪くなるのも無理ないよ」

その友人は著名な霊能者と懇意だとかで「魔よけの札」というのを私にくれた。開運・払い・体調不良などに効果があるという。ふと思いついた私は、その日友人のくれた札を寝室のドアに貼り付けドアを目張りして眠りに就いた

目が覚めるとまだ夜中だった。

ガチャガチャ・・・ガチャガチャ・・・ッ!

音が微かに聞こえたような気がしてあたりを見回した私は、絶句し凍りついた。

ド ア ノ ブ が 動 い て る ! ! !

誰かが必死でドアを開けようとしているかのようにドアノブが上下に激しく動いているのだ!私は飛び起き、札が剥がれてしまわないようにドアを押さえたしばらくすると、ガタガタ・・・ガタ・・・ッ!とドア全体が揺れだした。ここで負けたらドアの向こうにいる「何か」が部屋に侵入してくる・・・その時私はどうなるか・・・不穏な予感に震えながら私はドアから手を離さなかった。

朝日が昇って数時間、ようやくドアはカタリとも動かなくなった。ドアが閉まったままで朝を迎えるのはこの部屋に来てから初めてのことだった・・・おそるおそるドアを開けるとそこは何も変わった様子はなかった。荒らされてもいないし、盗まれたものも何もない。玄関も窓も昨夜私が閉めた状態のままだ。あれは夢だったのか、と自分を疑ったが、その日のうちに荷物をまとめ実家に帰った。

あの部屋に棲んでいた「もの」は「何」なのか「部屋に棲んでいた何か」はなぜ寝室のドアを開けることにあれほど執着するのか自分以外の先住者達もあの「何か」のせいで部屋を引き払ったのかそのせいで人がいつかず家賃が格安だったのか、過去、あの部屋で何があったのか、一切は未だに不明のままである。

今、私は実家で両親と3人で暮らしている。部屋を探してもあの部屋のように好条件の物件はなかなか見つからない。惜しいことをした、と思うときもたまにあるがしかしあの部屋に再び戻ろうとは思わない。
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