木箱

私がその奇妙な廃屋を見つけたのは、今思えば「あれ」に引き寄せられていたのだろうか。

趣味で写真を撮っている私は、いつもの様に人里離れた山に入っていた。野鳥や小動物、澄み切った空気の山林などを夢中で撮っていた。私が写真に懲り始めたのも、3年前に妻が交通事故で死んでからだ。酷い事故だった。私は全てを忘れるために趣味に走った。

時間はあっと言う間にすぎ、辺りはもう薄暗くなっていた。雨もぱらついてきていた。数分も経たない内に大雨となり、私は雨宿りの場所を探して走った。

10分ほど濡れ鼠で走っていると、前方にくたびれた山小屋が見えてきた。古く薄気味の悪い物ではあったが、寒さには耐えられず、駆け込んだ。造りは意外とまだしっかりしており、雨漏りの心配はなさそうだった。木のテーブルと腐りきったベッドが置いてあるだけの、質素な小屋だった。

冷えきった体を震わせながら私が煙草の煙を燻らせていると、ベッドの下の小さな木箱に目がいった。空けた。

「愛する者を入れよ。死は死をもって償われる」

と、ラテン語の様な文字で書かれた、黄ばんだ紙切れが1枚入っていた。何故か意味は分かった。なぜ理解出来たのかなど、どうでも良かった。寒かった。怖かった。私は自分の首につけていた、死んだ妻の形見の指輪を木箱に入れた。木箱を閉じて私は眠った。

寒さでふと私は目を覚ました。少し蓋が空いた木箱から覗く2つの眼を見てしまった私は、無我夢中で小屋を飛び出した。私は確かに「それ」が発した言葉を聞いたのだ。

「あなた」 と。

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平成00年2月6日、N県W山を捜索中の地元の警察が、妻の殺人容疑で指名手配中の辻本義之容疑者(38)の遺体を発見した。死因は凍死と見られており、所持品のリュックサックの中から、上記のような走り書きが記されたのメモ張が見つかり、また少量の覚せい剤も見つかった。

遺体発見現場から10分ほど離れた廃屋の床下から、3年前から行方不明中の辻本亜紀子さん(34)の白骨死体が発見された。ただN県警所属の検死官は、

「なぜ両目だけ腐らずに完全な状態で残っていたのか理解できない」

と怪訝なコメントを残している。
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