腕
俺が忘れられない曾祖母の家
所謂、ぼっとん便所が曾祖母の家にはあった。俺が行った時にはすでに使用しなくなっていて新しく簡易水洗の便所が別に出来ていた。その家には祖母から相続した叔父が住んでいた。
ある日、私は曾祖母の家に法事で初めて訪れた。俺は当時9歳。長いお経に俺は耐える事ができず便所へ行った。ぼっとん便所へ。
簡素な木製の引き戸を開けて中に入ると、ゴーッっと妙な音がボットンから聞こえる。恐る恐る覗き込むと引き込まれそうな暗闇。その暗闇へと空気が流れ込むようなゴーッという音。俺は何かに魅せられたようにじっと穴の中を眺めてた。
時間がどの位経ったか分からない。後ろから俺を呼ぶ叔父さんの声が、俺を探しに来たようだ。便所から出ると洗面台があり鏡があった。
鏡を見てハッとした。
俺が開けた引き戸の隙間から人の手が伸びて家の柱を掴んでた。その手は黒く煤けていた。
しばらく動けなくてじっとしてるとお経をあげ終えて帰路に着きかけたお坊さんが履きかけの草履を脱いで俺のところへやってきて、剃刀の様なもので空を切った。
そして一言、
「使われないのでしたら埋めたがいいですね。」
と叔父さんに言った。
お坊さんは軽く私の頭を撫で指で何かなぞってから帰られた。
今でもあれが何だったのか分からない。
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