無機質への執着

物心のついたときにAはすでにいじめられていました。Aはいつもにこにこしているのに、どうしてだろうと親戚は首をかしげていましたが、医者も両親も驚くほど、Aはいつもにこにこしているのです、というよりも笑顔しか表情がないのです

小学生になり、Aはやはりいじめられていました。Aはかえるの死骸を食べさせられても笑っていました。トイレに放課後まで閉じ込められても、やはり笑っていました。突き飛ばされ階段から転げ落ち、顔の真ん中が裂けて9針も縫う大怪我を負ってもやはりAは笑っているのでした。気味が悪い、と、Aは今度は無視されるようになりました。それでもAは笑っていました。

中学時代、Aは父親の転勤で引っ越しましたが、その土地でもやはりいじめられました。上履きに画鋲を入れられ、落書きされ、机にボンドを塗られ、自転車に泥を塗られ、体育のサッカーの時には腹に蹴りを入れられ、掃除の時間にはバケツの水を頭から被せられ…およそ全てのいじめを体験したといってもいいくらいでした。

担任は見るに見かねてAといじめに関わっている全員を指導室に呼び、一同にAにたいして謝らせましたがAは笑って許しました。

担任は、心の広い少年だと思っていましたが、ならばなぜいじめられるのか本当に不思議でした。ボランティア精神に溢れ、顔立ちは整っていないものの平凡普通で、家庭環境も珍しくなく、成績も中の上。内申は勿論のこと上々であるのに。

何かAの人格に問題があると思えない、と、担任はAについて個人的に調査することを心に決めました。

Aの帰宅路を、Aに気付かれぬよう担任はつけました。土手、商店街の書店、図書館…不思議なところはいまのところ見られない。唯一の違和感といえば常々感じていたことだが、Aが独りでいるときも笑顔を浮かべていることだ。角をまがるたびみえる横顔が笑っている。

やがて――細い苔むした路へAは引き込まれるように入って行きました。見失いそうになり、担任は少々小走りに追いました。

Aの足が止まりました。木の陰へ隠れ、担任が様子を伺っていると、Aが何かを拾おうという様子で屈みました。ゆっくりと回り込んで、Aの手元の見える位置へ行くと、Aの手にはぼろぼろの少女趣味な人形が握られていました。

Aは徐に鞄から何か小さな布を取り出して、人形のぼろぼろの服を脱がせはじめました。どうやら、布はAが裁縫で繕った人形の服らしく、多少不恰好ではあるけれどもしっかりと人形のからだにおさまりました。Aは満足そうに頷きました。

担任は背筋にうっすらと寒気を感じましたが、やはりAは気心の優しい男だと自らに言い聞かせました。

そうしていると、Aがこちらに歩いてきました。担任は戦いて、見つかった!とばつのわるい顔をし、自ら出てゆきました。

「Aすまん、お前をつけていたんだ、おまえのことが心配で。」

しかし、Aは担任など目に入っていないのか、脇を通り過ぎました。そうして、人形に話しかけ始めました。

「もう足も古くなっちゃったね、とりかえなくちゃ。やっぱりつくりものの皮膚じゃいやだよねぇ、人間の皮膚じゃないと、ふしぜんだもんね。大丈夫、ボクが今度病院にお願いして、人間の皮膚をもらってきてあげるから。大丈夫だよ。うん、ぼくね、昨日きみにあったときに恋したんだ。こんな気持ちはじめてなんだ。ぼくはかならずやりとげるよ。こんなところに一日も放っておいてごめんね、さあかえろう、かえってお風呂に入ろう…」

担任は、謎がとけたような思いがした。Aはもとより人間など相手にしていないのだ。そういえば家庭訪問の折、一つ不審な点を家族より耳にしたのを思い出した。

「うちの子、誰とも口を利いたことがないんですよ。ええ、うちの誰とも」
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