父親像
〜後編〜
視線だけドアの方に向けて、何歩くらいで外に行けるか計ろうとした時です!入ってきたときは背中側になったので見えませんでしたが、ドアのすぐ横の壁に「安全第一」と書かれた小さめのポスターが貼ってありました。そのポスターの左下がくるりとめくれ、壁から誰かの目がこちらを覗いていました。
壁ですよ、壁。なにも空間がないはずの壁に人の目が!思わずあとずさり、後ろの事務机にガタンとぶつかりました。
その音に、すみっこの事務机の女がこちらを向きました。どんな顔と説明するのは難しいのですが、とにかく恐ろしい顔です。
その女がこちらを向いた瞬間、しゃっ!と移動して俺の前1メートルくらいに四つんばいで来ました。その早さはもうすごいものでした。なにしろ正座していた状態から一瞬で俺の前に!膝を床につけた這い方じゃなく、足の裏を床につけて尻が少しあがる這い方です。もう頭がパニック状態になりました。
しかし今でも良く思い出したと思いますが、お札を持っていたことを思い出しました。冷静に考えればすぐ出せたのに身体じゅうさがして右ポケットからぐちゃぐちゃのお札を出しました。
無我夢中で女に投げ付けましたが、薄っぺらいただの紙です。俺の足元にただひらひらと舞い落ちただけでした。
そうっと顔をあげると、俺の目と鼻の先に女が!!
人形のような小さな口をパクパク動かし始めると
「そんなものきかないよ」
と女が言ったのです。
腹の底にズン!と響くような声で、両二の腕がざわあっ!とあわ立つのがわかりました。俺の恐怖は最高潮に達し、どこかで地の底から叫び続けてる様な声が聞こえました。それが自分の声だと気付きましたが、声はとまりません。
その時です。
「大丈夫!」
というしっかりした声が聞こえました。
今の今まですっかり存在を忘れていたOの声でした。
「大丈夫や、おまえが怖がることは何もないんやで」
見ると子供の顔立ちなのにまるで大人の様にしっかりとしたたよりがいのある横顔でした。そのまるで大人が子供に優しくあやすような言い方が何か気になった途端、秋も半ばだというのに、いきなりむわっと暑くなりました。暑い!すごい湿気で、なにかむせかえるような臭気が立ち上りました。
あまりの臭気に俺は立て続けにむせました。何度もむせて、目を開けた時・・・そこにはOも女もましてやポスターの目も何もいませんでした。
ただ、押さえてないと開いていなかったはずのドアが開いて、外から夕焼けの光が入ってきていました。俺は事務机にぶつかりながら外にまろび出て、転がる様に階段を降りました。降りきってから、今日の肝試しは結局誰も誘えなくて、一人で決行することにしたのを思い出しました。
あとはもう大泣きしながら、家に帰りました。道行く人が怪訝な顔で見ていました。家に帰ると母親はまだパートから帰っておらず、祖母がいました。とにかく疲れて祖母がテレビを見ている横でぐっすり眠りました。
夜十時くらいまで寝たと思います。怖くて風呂に入りたくないとゴネる俺でしたが母親にしかられて仕方なく入りました。
風呂の暖かさは怖いものなんかじゃなくて、今日のOを思い出させました。
「おとうさん・・・」
女は怖かったし、風呂で思い出してもいいくらいの恐怖を味わいましたが、ひょっとしてOは父親だったのかもしれないという思いが、恐怖を忘れさせました。
何の根拠もないのですが、俺に 怖がることはないんだよ と優しく言ったあの台詞が、俺の勝手な父親像と重なりました。
風呂から上がって、父親のアルバムを見ました。さっきの横顔は写真の父に似ていたかもしれない。そもそもあんなことありえない、何もかも俺の恐怖心が見せた幻だったかも知れません。
でもあれは父親だったと考える方が自分にとってうれしいのです。俺は勝手にそう思っています。
女と目がなんだったのか、調べようがなかったし、調べる気にもなりませんでした。だから今でも何だったのかわかりません。
もしOが父親だったとしたら、ちょっといい話に行くべきかもしれませんが、それは俺の勝手な思い込みですし、お札がきかないといわれたあの瞬間が、俺の人生でMAX洒落にならない恐怖を感じた時でしたので、こちらに書き込みさせていただきました。
進路なんかの事で、悩んだりするとき、写真の父親でなく、今でもあの時の横顔を強く思い出して心の中で相談します。
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