北海道のヒグマ
〜後編〜
- 六日目。
- 昨日の晴れる兆しが嘘のように、霧が濃い。朝起きても、終始無言。クマを刺激しないよう、誰もものを食べない。しかし今朝からは周囲は静か。臭いも薄らいだように思う。
数時間後、Cが、外に出る、と言い出す。みな反対するが
「様子を見るだけ、クマも今なら近くには居ない」
と言って、Cは許可を求める。すぐに帰ってくるのを条件に、私はそれを許した。Cが霧の中へ入っていった後Bは私を非難したが、そのうちに黙る。
しばらくして足音。Cの帰りを期待した私達はテントを開けようとしたがすぐに手を止めた。獣の臭いがする。Dがか細い声で
「Cは?」
と言った。
獣の鼻息が昨日に増して荒い。すぐに追突が始まる。私達は声にならない悲鳴を上げて身を寄せる。しばらく周囲を巡ったのちクマは腰を落ち着かせたか、足音は消えるも臭いは相変わらず強い。
その日一日、クマの臭いが途切れることは無く、私達は動かなかった。Cは帰ってこない。襲われたんだろうか。
−−−ここから少しずつ、日記の筆跡に乱れが見え始める。漢字も平易、ひらがなが増えていく。
- 七日目。
- 今日も、霧がこい。はらごしらえか、クマの気配が消える。しばらくの沈黙の後、Eが山をおりる、と言い出す。寝不足から目が血走って、声はヒステリック。説得をこころみるも、きかず、Eは
「おりたら助けを呼んでくる、待ってろ」
と荷物を持って霧の中に消えた。5人いたパーティはA、B、Dの3人になった。クマのいないあいだにカロリーメイトなど栄養食を食べる。会話はなし。時間がすぎる。
昼頃、外を見るが、霧は晴れない。
日ぐれ頃、クマがやってくる。中央に固まって、クマのしょうとつに耐える。湿気がはげしく汗がでるが、みな震えて、なんとか声は出さずにいる。Eは下山できただろうか。
- 八日目。
- 霧ははれない。朝になるとクマの気配は消えていた。だれも「下山しよう」とはいいださない。たまっていた日記を書いて気をまぎらわす。この日記を持ってぶじにかえりたい。
14時ごろ、Bが狂った。はじめに笑い出して、かんだかく叫んだあと笑いながら何ももたずにテントをとびだしていった。きりの中に彼を見送って、しばらく笑い声をきいていたがそれもそのうち小さくなった。Dがしずかにゆっくりとテントの口をしめ、
「いったな」
と、久しぶりにDの声をきいた。
そのよるもクマが来た。私たちは二人だき合ってよるが明けるのをまった。
- 九日目。
- 今日も、きりがこい。クマはしばらく近くにいるようだったが、ひるごろどこかへいった。中央でかたまったまま、すこし眠る。ひどくしずかだ。
夕方、クマのあしおとでおきる。ついとつされると泣きさけびたくなるが、どうにかたえる。かえりたい。クマはなぜ、おそってこないのだろう。
- 十日目。
- きょうもきりがこい ごご、Dがたちあがってしずかにでていった とめなかった きりがはれない クマはよるおそくにきた。きがくるいそうだ
- 十一日目。
- きょうも きりが
こい
くまは いる
-
- 十二日目。
- 今日も霧が濃い。
思いのほか、長くなった。すまない。
このパーティの登山届は、事前に警察に提出されていたため、異常事態は発覚していた。しかしまれに見る悪天候に、ふもとの警察は捜索をしあぐねていた。
天候が復活し発見されたのは、無人のテントと荒らされた荷物。日記。
最初に出て行ったCはテントから50メートルほどのところで遺体で発見された。喉の傷が致命傷となり即死。次に出て行ったEは、登山道の途中、崖から滑落。遺体で発見。Bは一キロほど離れた場所で無残に食い散らされていた。Dはルート途中の崖下から遺体で発見。Aは行方不明である。
以上が、俺が友人から聞いた話。これは、北海道で山を登る人たちの間で一時期流行った都市伝説なのだそうだが、実際にクマに襲われ壊滅したパーティはあったようだ、とも友人は言った。
その人たちは、ほぼ素人。登山届けも提出せず、発見も遅れた。現場の状態から、どうやらクマに荷物を奪われたところを、取り返しに向かい返り討ち?にあったらしい。
北海道のフィールドを歩く皆さん、どうか、クマにはご注意を。
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