黒田君なりの鎮魂
〜後編〜

その後、せっかく集まったのだからとカラオケに行くメンバーと別れて、僕は家に飛んで帰りました。一学期の最初にもらったきり、家の電話の横に吊るしておいたクラス名簿を引っ張り出して黒田くんの電話番号を探します。かけようかかけまいか迷いつつ、視線が番号を見つけるとすぐにPHS(当時高校生が持たせてもらえるのはPHSでした…)を持って部屋に引っ込みました。なぜか震えて仕方ない指先で番号を押すと、階下から姉の呼ぶ声がします。

「黒田くんって子から電話!!」

その瞬間、この後何度となく黒田くんと味わった恐怖の中でも最大級の恐ろしさが体を駆け巡りました。階下まで何とか行って、コードレスホンを受け取ったのはいいのですが、とてもではなく恐ろしくてひとりきりで黒田くんと話す気にはなれません。会話を聞かれることを承知で、姉と弟、父のいるリビングの端で受話器を耳に当てました。

「ああ、俺。ごめんな、遅くに」

真夏に冷や汗をたっぷりかいて、歯の根も合わないほどに震えている僕とは裏腹に、いつも通りに黒田くんは話しかけます。

何してた?とか、俺も今帰ったところでさ、とかしばらく当たり障りのないことを言い続けていてくれましたが僕が何も言わないので、やがてちょっと困ったような声音で言いました。

「さっきのことだけどさ。お前には、もう一回見られちゃってるんだよな。だから話すよ」

死んだ人っていうのは、自分が死んでること分かってなかったりするんだ。分かる暇もなく死んじゃったりすると、呆然としてずっとそこに残っちゃったりする。ただ、すごく大事なものだったり、すごく大事なことだったり、そういうのがあったことは覚えてる奴が多いんだ。

あそこにいたのは、小さい女の子の親父さんだ。女の子はいない。親父さんは、「死ぬ」って認識する前に「大事な可愛い小さな娘が血を流してる」ことを心に刻んじゃった。小さな娘の一大事の前じゃ、自分が死んでるなんてことは些細すぎるのかな。

娘を助けなきゃ助けなきゃとは思うけど、どこに助けを呼んでいいのか分からない。自分たちの目の前をたくさん人が通っていくのは見えるみたいで、ずっと必死に助けを呼んでる。でも、誰も振り向いてくれないんだ。たまに振り向いてくれる人がいても、皆怖がって逃げちゃうんだ。それって、どんな気持ちなのかな。あの親父さんは、この世で一番大事な命が自分の腕の中でゆっくり息絶えていくのを、ずっと感じてるんだ。それって、どんな気持ちなのかな…?

俺があそこで何をしてたかって?いや、だからさ。親父さんとずっと話してたんだ。たすけてくださいたすけてください、わたしのむすめをたすけてください、ってあの人泣きながらずっと言ってるんだ。だから俺は、もうすぐ救急車が来ますよ、娘さんは助かりますよ……って。

何時間かそうしてたら、親父さんやっとありがとうございますありがとうございますって泣くのやめるんだけど次の日行くと、やっぱり俺の顔見てたすけてくださいいいいいぃい!!って叫ぶんだ。だから、毎日あそこにいる……。

気休めでしかなくても、いつかあの親父さんが娘さんはもう、「助かって」るんだって分かって傍に行くまで出来たら一緒にいて、救急車呼びましたよって言いたいんだけどなあ?

そう言って、彼は電話の向こうでやっぱり困ったように照れたように笑いました。別段目立つこともなく、本当にごく普通にクラスに溶け込んでいた黒田くんは、「目立つこともなく、ごく普通に」することに対して、ものすごく骨を砕いていたように思います。

真夏の道端に何時間も「普通に立っている」ために、面白半分で来る僕らみたいな奴に「俺はずっとここにいたけど」とごく普通に言うために中学生の時に始めたのだというギターは、相当うまいと僕は思っています。

「ブーンが精神病になったようです」(※)でカーペンターズの「sing」を久しぶりに聞いて書き込んでみました。当時の雰囲気をそのまま伝えたくてあれこれした結果、超長文になってしまいました。申し訳ありません。

※2ちゃんねる掲示板「ニュー速VIP」カテゴリに立てられたスレ。ある方々が体験した実話を元に構成された精神病に関するストーリーが主体となっている。
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