鍾乳洞
〜後編〜

どこをどう走ったのかわからないまま、彼は1人になってしまった。

おーーーい!

彼は叫んだ。

ォーーィ・・・

やはり、こだまの最後に女の声が混じる。彼は顔をしかめた。

誰かいないかーーっ

耳をすますと、また最後に女の声が混じった。

ダレモ イナイヨーー・・・

どこからか忍び笑いが聞こえた。叫ぶ気が失せた、という。

岩場に座り込んで、息をひそめていると、足音がした。

「誰だ!」

彼は身構え暗闇に向かって怒鳴った。例の女の声が聞こえるかとびくびくしたが、返ってきたのはMの声だった。隣に腰をおろす気配がした。

「ひでぇ事になっちまったな」

彼は言った。Mは無言だった。二、三問いかけるも、答えはない。彼は少しむっとして語気を荒げた。

「帰り道はどこだ?」

Mのすすり泣きが聞こえた。

「あの女、恐ろしい」

Mは嗚咽した。

「誰か捕まって、やっと逃げだせた」

彼はうなだれた。その時、かすかに連れの声がした。彼とMの名を呼んでいる。彼は飛び起き、Mを促した。

じゃぷっじゃぷっ・・・

後ろから、Mの足音がついてくるのが聞こえた。連れの声が近づくにつれ、女の子たちの泣き声も聞こえた。「誰かタバコ持ってない?」神経質な声がした。

!!

「みんな、集まれ。明かりがある」

彼がライターに火をつけると、かすかな光を頼りにひとりずつ寄ってきた。女の子のひとりが懐中電灯を持っていた。

「まだ、持ってたのか」

彼は言った。自分のはとっくにどこかに落としていた。

「でも、つかないの」

女の子はしゃくりあげた。

「かしてみろ」

その子にライターを渡した。スイッチを押しても、反応はなかった。底の蓋をはずすと、水があふれた。電池が水浸しになっていた。

人数を数えたが、ひとり足りない。Mがいなかった。何度か名前を呼ぶと、遠くに小さな明かりがともった。

「あそこだ」

彼らは歩き出した。時々Mに見えるようにライターを高く掲げると、むこうの火がゆっくり左右に揺れた。後ろでつまずく音がした。

「靴が脱げた」

と女の子が情けない声を出した。彼は舌打ちしながら、皆に止まるよう言った。遠くの明かりがせかすように、ぐるぐると小さな円を描く。自分達の足音が消え、彼はふと気付いた。

水の流れる音がする。

不審に思い地面を照らすと、数歩先の地面がなかった。そっと覗き込むと、黒ぐろとした河が横たわっている。(落ちるところだった)彼は胆を冷やした。向こう岸の明かりが、揺らめいて消えた。

彼はMの名を呼んだ。返事はなかった。渡れるかと思い、地面のへりに腰掛けて、そっと足先を水面につけた。靴に水が入る。深い。そして恐ろしく冷たい。何かがつまさきをかすめ、慌てて足をひっこめた。(魚か?)

水面で何か跳ねる音がした。(違う、もっと大きな・・・何だ?)彼はあとずさりした。また音がした。一匹や二匹ではない。水面を叩くような音があたり一帯響き渡る。何十匹という音だった。やかましい水音に混じり、変な音が混じった。

じゃぷっじゃぷっじゃぷっじゃぷっ・・・

聞き覚えのある音が数を増して、近づいてくる。

じゃぷっじゃぷっじゃぷっじゃぷっじゃぷっじゃぷっじゃぷっじゃぷっじゃぷっじゃぷっ

彼はようやく理解した。河から這い上がった何かが、歩いてくる。

「逃げろ!」

彼が叫ぶと、皆一斉に走り出した。濡れた柔らかいものがべちょりと彼の首筋に触れた。振払った拍子に彼はライターを取り落とした。炎が消える瞬間、無数の奇妙な影がうごめいて、消えた。暗闇に足を取られたが、構わず走り続けた。どこを走っているのか。どこへ向かっているのか。(もう走れない・・・!)

彼は息をきらして立ち止まった。周囲が微かに明るい。見上げたそこに星が瞬いていた。いつのまにか外に出ていた。彼は、安堵のあまりその場にへたりこんだ。

彼は他の者に電話したが、Mだけは連絡がつかなかった。彼は友人達と口裏を合わせ、知らぬ存ぜぬを通した。

数日後、洞窟と底で繋がっているといわれる川で死体があがった。彼は警察の追求が自分に及ぶ事を恐れたが、杞憂に終わった。彼は今でも悪夢にうなされる。闇の中でMが彼に助けを求めている。今になって、彼は考える。Mが言っていた言葉を。そして思う。暗闇の中で語りかけたMは、本当にMだったのか、と。結局、Mの死体は見つからなかった。水死体は別人で、腐敗しきっていて鑑別は不可能だったという。
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