生きること

小学校のときからいじめられ、中学になってから耐えられずに自殺しようとしたとき、小遣いもなかった私は、自分が行ける距離の一番高い駅ビルの屋上で、不思議な人に出会いました。その人は女性で、後で聞いたところ17歳(当時)だったそうです。

その人が一言、

「もし自殺する気なら、あなたの人生を私が買います」

何事かと思いました。よく見ると、右手に盲人用の白い杖。しかし、その人の目は明らかに私を捉えているようでした。

促されるように、ずっといじめにあってつらい事、死んでしまいたいという事を涙ながらに語っていました。気がつけば夕暮れも夜の色になり、その人は名刺を手渡しました。

「話したいことがあれば、ここにきなさい」

と。

次の日から、私はその人の家に通うようになり、いろいろな話をしました。はじめはいじめの話題ばかりだったのが、いつしか楽しかったこと、思い出に残ったことなども話すようになり、その人も、うまくまとめられない私の話しをゆっくり聞いてくれました。

その人にはお兄さんがいて、学校から帰ってすぐにその人の身の回りの世話をしていました。いつしか私もそれを手伝うようになり、それを楽しみにするようになりました。

しかし、出会ってから半年が過ぎるころ、床に伏せることが多くなり、ほとんど寝たきりになってしまいました。そのころになってようやく、

「私はこの人のことを何も知らない」

と気づき、話す側から聞く側に回るようになりました。ゆっくりと削られていく時間の中で、その人の18年の人生を、私は噛み締めるように聞きました。

そして、出会ってからちょうど一年目、その人はゆっくりと息を引き取りました。

お兄さんは、

「この子が安らかに逝けたのは君のおかげだよ。ありがとう」

と、お葬式のときにいってくれました。むしろお礼を言いたいのは私のほうなのに。

その後少しして、自宅のほうに入ってみたら、引っ越しましたの張り紙。私は門の前で泣いてしまいました。

それから5年。私も18になり、トラックの運転手になっていました。

その日、夕方に荷物を積み、夜のうちに目的地へ移動中。突然濃い霧のようなものが立ち込め、そこが本当に道路なのかさえわからなくなりました。危険を感じた私はすぐに車を止め、霧が晴れるまで待つことにしました。

すると前方から、二人の人影が近づいてきました。なぜだかすぐにあの二人だと気付き、車を降りて駆け出していました。二人はにこやかに微笑んでいて、私は泣きながら抱きつきました。

それから、時のたつのも忘れて、10年間にあったいろいろなことを話し、二人は昔のように聞いていてくれました。話が終わると、二人は泣いていました。

私は「そろそろお別れなんだ」と思い、

「ありがとう。本当にありがとう」

と言いました。また、私は泣いていました。

二人は

「あなたが幸せなら、私たちは安らかにいられる」

と言い、

「もし私たちの最後の言葉を忘れてしまったら、あの場所へきなさい」

と言い残し、霧の中に消えていきました。

気がつくと霧は晴れ、車は路肩に止まっていました。

翌日、二人の家のあった場所に行くと、そこは墓地になっていました。十数個ある墓石に刻まれているのはすべて同じ苗字 その中に新しい墓がひとつ。その裏には二人の名前がありました。お兄さんが亡くなったのは、その人が亡くなってちょうど一年後でした。

花を添え、線香をたき、手お合わせていると、頭の中で二人の声が聞こえました。そして、私は最後の言葉を思い出しました。

「私たちの分まで生きなさい」

と…。

今でもあの二人に言いたい。

「私は今でも生きているよ」
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