兄の優しさ
父が再婚した年の冬、家計を助けるため新聞配達をしていた中学生の兄が猫を拾ってきた。寒い中に1匹だけ道路脇に捨てられていたというその子猫は息も絶え絶えで自力でミルクを飲む力さえ無くなっていた。
当時貧乏だった私の家ではペットを飼う余裕なんて無かったのもあるのだろう継母は顔を少し顰めて、兄に猫を捨ててくるように言った。
「俺が面倒見るから!」
温厚だった兄が大声を出すのをわたしはその時初めて聞いた。その剣幕に押されたのか、自分で世話をするならと継母はしぶしぶ了解した。
わたしは猫が飼えるんだと嬉しくなりこう言った。
「にゃーさんの名前はにゃーこがいいなあ」
兄は困ったような泣いたような笑顔を浮かべると、わたしの頭をくしゃっ、と撫でた。今思うと兄は、その子猫が助からないことをうすうす感じ取っていたのだろう
結局子猫を飼う事はなかった。
子供心に納得のいかなかったわたしは、事あるごとに
「にゃーさんを飼いたい」
と、兄を困らせた。
そんなわたしに兄は画用紙にわたしと猫の絵を描いてくれた。わたしのために精一杯描いてくれたであろうその絵を、絵で誤魔化されたと、バカなわたしはろくすっぽ見ずにくしゃくしゃに丸めて捨てた。
「ごめんな」
涙を貯めて立ち尽くしているわたしの頭に手を置いて、申し訳なさそうにくしゃっとしてくれた兄。
兄は早朝の新聞配達に出かけたまま戻ってこなかった。配達を急いでいたらしく、いつもは使わない車道を横切った時に車に轢かれたらしい。
兄の机の上のわたしが捨ててしまった絵と、新しく描きなおそうとしていたのだろう描きかけのままの絵を見て兄が急いでいた訳を知り、泣いた。
あれから20年、大きな病気も怪我も無く、わたしは結婚した。家庭に入ったわたしには娘も出来、その娘は猫を飼い始めた。
2人目が出来たこともあって産婦人科に行こうと、猫と一緒にじっとベランダを見ていた娘がふいに
「おかーさんにゃーこがもう一匹いる、しらないおにいちゃんも」
わたしには見えませんでしたが直感しました、それは亡くなった兄とにゃーこだと。あの頃のわたしと同じような年になった娘が、あの頃には飼えなかった猫と一緒にいる姿が嬉しくて見ているのでしょう。
結局娘が兄たちの姿を見たのはその時だけですが、時々風も無いのに娘の髪が乱れている事があります、まるで兄が頭をくしゃっと撫でてくれた時みたいに。今でも見守ってくれているのだと、そう思っています。
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