姪との思い出
年末の帰省時に姪(弟の5歳児)を預かる予定だった。
前年帰省の際、土産を忘れた俺は、土産代わりに子守する事にしたが、これが大好評。特に義妹(28)からは
「義兄さんのおかげで久々に旦那とデート出来た!」
と喜ばれた。
その時は姪の希望でとっとこハム太郎の映画に連れて行った。4歳児が映画館でじっとしてられるか不安だったけど無事終了(泣くとやばいんで同時上映のゴジラは見なかった)。パンフ買ってゲーセンでハム太郎のぬいぐるみ捕って。劇中歌のミニはむずの曲の着メロ落して車の中で鳴らし続けたり(普段は仕事ユースのエッジなんでマナーにしてて鳴らさないんだが)。
姪は初めての映画館が相当嬉しかったらしく、正月休み明けまで「楽しかった」を連呼していた。姪の楽しげな様子を見ていて、家族皆が幸せだった。
去年の夏の終り頃、姪から電話があった。
「今年もハム太郎の映画があるんで連れてってください。」
義妹に
「連れて行って欲しかったら自分でちゃんと頼みなさい」
といわれ電話したらしい。連れて行く約束をして電話を切り、ググってみると、確かに「劇場版とっとこハム太郎2 12月公開」のページがあった。
12月になって再度姪から電話があった。
「おにいちゃんいつ帰って来るんですか?」
28日に帰るから29日に映画に行こうと約束して、そのままローソンに行き、映画の前売券を買った。(その電話で、弟夫婦もデートの日を決めたかったらしく、姪はそのダシに使われたらしい)
28日の東名高速下りは事故も重なり大渋滞。蒲郡から小牧まで何時間かかるかわからない位。実家に相当遅くなると伝えるために電話。
誰も出ない。
その時は正月の買い出しにでも出てるだろうと気にして無かった。その後も何度も電話したけど、結局電話は繋がる事無く、普段の倍の時間かけて実家に着いた頃には、日が暮れていた。
電気一つ灯いていない真っ暗な実家。変わっていない合鍵場所から鍵を持ち出し中に入る。
両親と同居して(もちろん大変な事一杯有るだろうに)うまくやってくれてる義妹。
家の中は何時も奇麗に片付いていたのに、一目で何もかも放り出して外出したのが分かる荒れよう。取り敢えず居間の茶碗類を片付け、ストーブをつけてテレビを見てぼーっとしてた(多分めちゃイケでも見てたんだと思う)。
流石にこの時間まで帰らないのは尋常じゃねえな、と思った矢先、両親が帰宅。目が合った親父が言った。
「姪が死んだ」
…ハァ?
と思った瞬間に、親父の背中でお袋が泣き出した。
親父に聞いて駆けつけた病院には弟夫婦がいた。公園で補助輪無しの自転車の練習中に転倒して、その際にブランコの支柱に頭を強打したらしい事。そのまま意識が戻らなかった事。幼稚園が冬休みになってから一生懸命自転車の練習してた事。それがどうやら俺に見せる為らしい事。(一人でトイレ出来る、補助輪無し自転車に乗れる、出した物を自分で片付けられる、が姪には「成長してお姉ちゃんになった自分」を表す事と思っていたらしい)
そんな事を聞きながら、姪と対面した。あまりに突然過ぎて驚きが大きすぎたからか、涙は出なかった。
次の日弟夫婦が病院へ行っている間に、俺は親父に言われて一番近い紳士服店に礼服を買いに行った。この十年で俺はすっかり太ってしまい、親父や弟の礼服は着れない体型になっていた。年末だったが吊しの礼服を買って無理言ってその場で裾詰めを頼んだ。待ち時間の間、店を出て辺りをぶらついた。
そのうちに、ここが何処だか唐突に気付いた。急いで店に取って返し、車走らせた。
五分ほど走った場所に、去年姪と来た映画館が有った。受け付け嬢に頼み、映画のパンフだけ売ってもらい、紳士服店に引き返した。
葬儀までの間の記憶ははっきりしない。周りの肉親がばたばたしてるのに、俺にはする事が無かった事だけ覚えている。葬儀業者の手配でセレモニーホールでの通夜が始まる前、義妹と少しだけ話をした。
「姪がいつもいつも『おにいちゃんに買ってもらったんだよ!』って見てたハム太郎の映画のパンフ、棺に入れてやります」
見ると義妹の手にはぼろぼろになった、それこそ擦り切れるくらい読んだだろう映画のパンフ。これを見た瞬間に、涙が止まらなくなった。生まれて初めて、視界が涙で滲んで見えなくなっていく体験をした(今までは泣き出しは目を閉じてたんだろうか?)。
買ったばかりの新しい映画のパンフと前売券を、一緒に入れてもらう為義妹に渡しながら、泣き続けた。
自分の子でも無いのに、今でも、ただただ喪失感しかない。時間の経過で薄まるのかどうかも、分からない。PHSに落したミニはむずの着メロは、聞けずにいるけども消せずにもいる。
いたる所で目に付くハム太郎見つける度に、姪の喜んでいた顔を思い出す。で、その度にもう思い出す事しか出来ん事を思い知り泣いてしまう。
2月10日に有給休暇を取って、帰省した。姪の四十九日に出る為に。
新幹線は、あっけないほどすんなりと着いてしまった。家に入り、新しく買ったという仏壇の前へ。仏壇の黒と、骨壷にかかった布の白さのコントラストで息が詰まる。
供えられた色紙の工作物。聞かずとも姪の友達からだと分かる。形は整っていないけど、姪のために一生懸命作ってくれたんだな、と感じる。弟夫婦と少し話す。
姪の仏前にハム太郎グッズを供えようか、と数日前まで考えていて、実際買ったけど、これを毎日見て生活するのは辛い、と思い置いてきた。代わりに、知人のツテを頼んで、フラワーアレンジメントしてる方に、ハム太郎に見えるようにしてもらった花の篭盛り(?)を持参した。これを事故現場に供えたい、と伝え
「弟と義妹も、一緒に行かないか?」
と誘った。
義妹は、事故以来あの公園に近づけない。仕方が無い事だけど、四十九日をきっかけに立ち直らせたい。そう弟は考えていたから、事前に相談していた。姪の事は、忘れられるはずも無い。でも、今は、憔悴し切った義妹を何とかしないと、というのが俺と弟の考えだった。
結局、弟夫婦と両親と俺の5人で公園へ行った。
家へ戻り、親父の実家へ、姪の遺骨を納める墓の相談に祖母を訪ねる。祖母が10年も前に俺用に買ってくれた寺の墓地が有り、それを使わせて欲しいと頼む。(田舎は面倒な事柄が多い)祖母は快諾してくれ、寺との段取りもしてくれた。月内には納骨できると聞いて、ほっとする。
その夜は、弟夫婦としこたま飲んだ。
姪よ、お前は居なくなってしまったけど、お前と過ごせた日々を、俺達は忘れないだろう。今は痛みだけしか感じないけど、時間が経てば楽しかった日々を思い出せる日が来るだろう。
そして、いつかお前の弟か妹が出来たら、俺は同じ様に、映画に連れて行こうと思う。霊とか来世とか信じないけど、どうかそんな日が早く来る様にお前の母さんを見守ってやってくれ。
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