第九十話
語り部:辰砂
ID:B5B13T1BO
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金縛り、というのがありますね。目を覚ましたはいいが、体が動かない、という。霊の仕業だとか、脳が起きてもまだ体が寝ているせいだとか。
私はこのかなしばり、小さい頃から何度も何度も体験しているんですが、これが神秘的な現象だとか、霊の仕業にちがいない!みたいに感じたことはありませんでした。
なんとなれば――あまり自慢できた話じゃありませんが――その金縛り体験というのが、たいてい授業中の居眠りでの体験だったからです。
自分が居眠りしそうになった(と、そのときは思っている)ことに気付いて目を開けようとする――瞼が動かない。ぼやけた視界、なんとか顔を上げようとする――もちろん上がらない。
あるいは眠気に必至で耐えて、震える字で板書や聞こえている内容をノートに必死で写して…………さて気がつけばノートは白紙。
それでああ、いまのいままで夢を見ていたのかと気付くのです。
けれど去年のことでしたか、そのときばかりは様子が違っていました。
聞こえるような聞こえないような教師の声がうつろに響きます。重い右手をなんとか動かして(いるつもりで)私はノートをとります。
ここまではいつものとおり。何故かその日は、視界の端ばしに黒い影がよぎります。
ああどことなく、右手が黒い靄のかかったように黒ずんで――と、そのとき、ぼやけた視界が突然真っ赤に染まり――
そこで気がつきました。目が覚めた、というべきでしょうか。軽くため息をつきました。
いつものとおり、ノートに書いたはずの文字はひとつとして残っていません。ただその日ばかりは、ノートは白紙ではありませんでした。
右手の中指には覚えのない、縦にまっすぐの傷があり、ノートのページを二分するように、上から下に血で一本の線が引かれていたのです。
以来、金縛りになったことはいまのところ一度もありません。
【完】
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